宮内大輔

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  • 同年7月、時光は兵を率いて上洛し、従五位下宮内大輔に任ぜられる。
  • 大永4年に箕輪城の長野方業が長野顕景を攻めた際に同調した長野宮内大輔は賢忠のこととみられている。
  • 承和15年宮内大輔に転じて、仁明朝末から文徳朝にかけてこれを務めた。
  • それを土地の学者だけが、藩公酒井宮内大輔の遺徳を記念したもので、すなわち御宮内様が正しいなどといっているのである。 柳田国男『年中行事覚書』より引用
  • しかしそれにしても、ふつうに男女二体並んでいることが、たんに宮内大輔様では不似合である。 喜田貞吉『オシラ神に関する二三の臆説』より引用
  • 又医書一巻元亀の古鈔本にて末云すゑにいはく「耆婆宮内大輔施薬大医正五位上国撰」とあり。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 承和11年従四位下に直叙され、翌年宮内大輔に任ぜられる。
  • 貞観11年越中権介を務めた後、宮内大輔に転じ、元慶3年11月従五位上に叙された。
  • いずれにしてもこれは宮内大輔の領分なる庄内限りのものではなく、広く奥羽地方に、いなおそらくは、さらに他地方にも行われたものとして、一般的に通用する説明を求めねばならぬ。 喜田貞吉『オシラ神に関する二三の臆説』より引用
  • しかし庄内地方では、すでに佐々木君も引いておられたように、ふつうにこれを藩祖酒井宮内大輔忠勝に関係して説明している。 喜田貞吉『オシラ神に関する二三の臆説』より引用
  • 内大臣藤原高藤の二男で、母は宮内大輔宮道弥益のむすめ、兄に泉大将藤原定国がある。 久保田正文『百人一首の世界』より引用
  • その後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫などを務めた。
  • またこの間、宮内大輔・右京大夫などを務めている。
  • この際に改正された「官位相当表」よると、宮内卿は正三位、宮内大輔は従三位、宮内少輔は正四位とされた。
  • 天平12年風俗楽を奏した功で従五位上に進み、天平13年宮内大輔に任ぜられる。
  • こののち再び、典薬頭・宮内大輔・大学頭・兵部大輔・大舎人頭と京官を歴任し、この間の弘仁10年には従四位下に叙せられている。
  • 初名はで宮内大輔を称したが、応永年間の初めに近江守に任ぜられて通称を改め、応永20年3月、阿蘇宮社を参詣する前夜に見た吉夢により「前続」と名も改めた。
  • ところが、文明11年12月に丹波国内における細川氏の家臣同士の争いが原因で一宮宮内大輔一族に拉致され、翌年3月まで丹波国に幽閉されている。
  • 神護景雲3年称徳天皇の崩御後まもなく中務大輔に任ぜられて京官に復帰し、次いで宮内大輔に転じる。
  • 同じく天文14年12月2日、大内氏の仲介により勅使が船で八代に来航し、長唯に従五位下・宮内大輔を、為清に従五位下・右兵衛佐に叙任した。
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