宗主国
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朝薫は進貢使を清国に派遣することで外交バランスを取るつもりだ。これまでと同じように二つの宗主国を持ち、二つの国の文化を体得する。大国の力を拮抗させておけば、琉球は存続する。
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ガボン史上最初の政党とされる。宗主国であるフランスへの抵抗を超えた広範な反植民地主義を主張した。また、党の目標を教育の機会均等、改善や政治、行政分野におけるガボン人の関与の増大に置いていた。
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続いて1960年代からブラジルや韓国、メキシコなど一部の諸国での経済成長が始まった。またこの頃はアフリカやアジアにおいて宗主国から独立する国が相次いだ。宗主国から独立した植民地諸国だったが、いくつかの国では内戦や同時期に独立を果たした隣国との紛争が勃発し、発展の制約となった。
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貴国の宗主国である清が英国と借地権契約を結んだことは知っての通りだ。不思議なのは何から何まで清国を模倣する貴国が、なぜ宗主国の例に倣わないのか?
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刈りポニは動こうとしないノーマンに焦れたのか、さっきまで執事が立っていた場所に行き、相手の顎を掴んで持ち上げる。もはや宗主国からの使いと、自治区の領主の会談という雰囲気ではない。
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自由インド仮政府軍はインドの宗主国であるイギリスに対して戦闘を行った。
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着任から9ヶ月後、1929年7月30日に、ジブラルタル協会が発足した。その主な目的は、博物館の設立によって宗主国の権威を高らしめることだった。ゴドリは博物館用として、隣接した2つの兵舎を手に入れることができた。
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しかし、第二次世界大戦以降に植民地だった各国が独立したのちに状況が変わる。これらの国は独立はしたものの、産業の資本は宗主国の企業や国民が握っていた。したがってこれらの新興国は、自国の資源の利益のうちのある程度をこれら企業などに取られてしまうことになる。
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ダルマチアにおいてローマ法は有効であった。彼らはさらに、宗主国とは別に個別の同盟を締結することができた。ハンガリー人でなくとも外国人は、滞在を歓迎されない都市に住まうことはできなかった。
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廊下の両側はずっと監房になっている。中にいるのは、彼らの国が宗主国と仰ぐ国の、背の高い髪の赤い男たちばかりだ。刺子の綿入れの作業服姿で、格子に掴まったり、木のベッドに横たわったりしてぼくを見送っていた。
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皇帝は再び北イタリアの宗主国たらんと乗り出し始めようとしていた。コルテヌオーヴァの戦いでは、クレモナ軍は勝者側となった。
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特に隣国であるキューバとは、1959年のキューバ革命以降汎米主義に基づいて近隣のラテンアメリカ・カリブ海諸国がキューバとの関係を断絶した中、国交を継続していた。スペインからの独立以降も元の宗主国であるスペインとの関係は、文化や経済面を中心に非常に強い。しかし、1975年9月にカレロ・ブランコ前首相の暗殺に関わったとされる活動家5人がフランシスコ・フランコ政権によって処刑された際に、抗議して一時国交を断絶したことがある。
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人類は手術台に上ることなく、二世紀以上の歳月をほぼ健康にすごすことができた。ひとりこの繁栄と発展に取り残されたのは、かつての宗主国たる地球だった。この惑星はすでに資源のことごとくを費消し、政治的にも経済的にも実力と潜在力を喪失していた。
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これはこの国の首都、バンドンでパスンダン国民党が党員を集め、ジャワとは違う独立を図ったからである。だがこの独立運動は宗主国であったオランダは承認しなかった。しかしオランダが方針を変え、1948年2月26日に西ジャワ国として成立した。
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また宗主国の求める結果を得るために経済的、政治的、軍事的圧力をかけることも依然可能であった。そして最も大きな違いは、宗主国は植民地に対する責任を否定することができるようになったのである。脱植民地化は、多くの人々が入植した植民地においては、それも特に何世代にも渡ってその地に定着している場合、易しい問題ではない。
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その上で幕府は、高山国が日本側の要求を受け入れた場合は同国の要望に応じるべきであること、そして高山国の人々が求める物資を供給して日本に対しての親近感を高めるように指示した。つまり幕府としては日本が高山国の宗主国として振舞うことを念頭においていた。幕府は台湾を明との出会貿易の拠点にしようと考え、首尾よく偵察が成功して高砂国との通好が始まったら、明船と日本船が台湾で出会貿易を開始するように指示し、そのために台湾の良港の調査、そして台湾を隅々まで偵察して様子を絵図として献上するように命じた。
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国内では厳しい報道規制が敷かれ、政府はCNN・BBCといった欧米メディアによる取材を禁止している。宗主国であったイギリスに対するジンバブエ国民の悪感情は根強い。またイギリス側のジンバブエ報道も、過度に扇情的であるとの指摘もされている。
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