学徒勤労

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  • 同時に学徒勤労令も出され、中等学校二年以上の学徒も軍需工場などで勤労した。
  • 学徒勤労隊というものは、正式の工員の補助としてのように私たちは考えているが、決してそうではなく、ある種の工場では学徒隊が工員の大部分を占めているという。 伊藤整『太平洋戦争日記(三)』より引用
  • このため、学徒勤労動員や女子挺身隊の名目で学生や女子などの非熟練労働者に対する動員が行われた。
  • その後まもなく終戦を迎えたが、これまで鉱山で働いてきた学徒勤労報国隊や朝鮮人、中国人の労務者、そして連合軍の捕虜らがいなくなった影響で人手不足が深刻化していた。
  • 学徒勤労奉仕には測量のため日本大学工学部の学生、旭川工業学校の生徒などが動員された。
  • 代わりに1944年8月23日から学徒勤労令に基づき、兵器開発や生産など、陸軍・海軍関係の研究所や工場などに動員された。
  • 他に学徒勤労奉仕、地域住民の勤労報国隊などが動員され、工事にあたったと記録にある。
  • 学徒勤労動員で砲弾工場で作業していた際に旋盤に左手の中指を挟まれ第一関節から先を切断するという事故に遭っている。
  • 学徒勤労動員または学徒動員とは、第二次世界大戦末期の1943年以降に深刻な労働力不足を補うために、中等学校以上の生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員されたことである。
  • さらに翌年の1945年には「決戦教育措置要綱」により、一年の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられた。
  • 太平洋戦争中は「学徒勤労動員令」により、生徒達は席田飛行場建設や軍需工場に動員された。
  • 熟練工を兵役で取られ、その不足を補うために民間造船所の工員や海軍工機学校の生徒のみならず、畑違いともいえる他の学部の生徒を学徒勤労報国隊で集め、朝鮮人工員や台湾人工員、女子挺身隊も狩り出された。
  • この頃の新聞雑誌から、税金、交通、学徒勤労、街上風景等についての文を拾い、日記にはりつける。 伊藤整『太平洋戦争日記(三)』より引用
  • 中学時代は学徒勤労動員のため、2年次終わりから鹿児島市内の工場に勤務、3年次からは鹿屋海軍航空隊での掩体壕作り、4年次からは佐世保海軍工廠での作業に従事し、3年間程度しか授業を受けることができなかった。
  • しかし学徒勤労動員のため学生の大半がその日のうちに帰省し、更に19日未明の岡崎空襲で明大寺町の校舎と愛知二師が全焼してしまう。
  • さらに、逼迫した労働力不足は子どもの徴用まで招き、学徒勤労動員により子どもも労働力として位置づけられた。
  • いわゆる学徒勤労動員である。
  • 外務省に入省して文化事業部長、宮内省に転じ内大臣秘書官長、1930年貴族院議員、宮内省式部次長、陸軍政務次官、大政翼賛会総務、1943年東條英機内閣で文部大臣、学徒動員、学徒勤労動員を実施した。