子規

全て 名詞
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  • それを子規という名前にしたのは、明治二十二年に喀血かつけつをしたからです。 大岡信『名句歌ごよみ〔秋〕』より引用
  • 子規居士がこの家に居ったのはおよそ一ヶ月位のことであったかと思う。 高浜虚子『漱石氏と私』より引用
  • 子規の病を大きく進行させたのは日清戦争への記者としての従軍であった。
  • 子規の眼の前で十四五本の鶏頭が秋の風景をつくつてゐるだけである。 折口信夫『日本美』より引用
  • 当時子規は日清戦争の従軍記者として広島で出発を待っている時であった。
  • その後子規の所で出会ってその直感の的中していたことを知ったのである。 寺田寅彦『高浜さんと私』より引用
  • 自然科学に関する話題にも子規はかなりの興味をって居たように思われる。 寺田寅彦『子規の追憶』より引用
  • その時の病子規は私には非常に若々しく水々しい人のように感ぜられた。 寺田寅彦『子規の追憶』より引用
  • 子規が最初に喀血したのは、1888年8月の鎌倉旅行の最中であった。
  • 膝掛をとられてふるえている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。 夏目漱石『京に着ける夕』より引用
  • 短歌においては、子規の果たした役割は実作よりも歌論において大きい。
  • 連句に興味を持つ松宇と否定的な子規との考えの違いがあったともいわれる。
  • 子規に、その写生画を見せてもらっているうちに熟柿を描いたのがあった。 寺田寅彦『高浜さんと私』より引用
  • そういう点で子規の文章は、われわれに教えることが多いと思います。 大岡信『名句歌ごよみ〔秋〕』より引用
  • この事は子規という人とその作品を研究する際に考慮に加えてもいいことではないかと思う。 寺田寅彦『子規の追憶』より引用
  • 子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。 夏目漱石『京に着ける夕』より引用
  • 子規のもとに集まった人々は「日本派」と呼ばれ、俳壇の主流となった。
  • 近代の俳壇でも正岡子規という人は決して人間を軽蔑しなかった人である。 高浜虚子『俳句の作りよう』より引用
  • 極堂は、下宿に入って廊下の左が子規、向いが謙二郎の部屋としている。
  • それだから、はじめ子規の歌論とはむしろ反対の意見をもっていた。 久保田正文『百人一首の世界』より引用
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