女王卑彌呼

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  • 然れば倭女王卑彌呼及其嗣者壹與は崇神天皇と同時代の人たりしなり。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 千七百年の風霜ふうそうの中で、あるいは女王卑彌呼ひみこの百余歩の墓はついえ去り、その残土すらいまはとどめていないかもしれない。 宮崎康平『まぼろしの邪馬台国』より引用
  • 女王卑彌呼の名義に就いては、古來種々の解釋ありて、未だ一定せざるが如し。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 此の如く倭女王卑彌呼の性質を論究したる後に於いて、余輩ははじめて我神典中の一大疑問を解釋し得べしと信ず。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 本居氏の此論文によりて、當時の學者は殆ど女王卑彌呼を熊襲の類と見做すに一定せしが、さて『魏志』の不彌國より邪馬臺國に至る行路につきては、大體二説に分かれたるが如し。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 然れども正始八年に此王は女王卑彌呼と戰つて勝利を得たれば、女王の嗣者壹與の代に及んでも、依然として九州の南部に據りて、暴威を逞しうせしに相違なし。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 女王卑彌呼とは倭姫命なること は粗ぼ論じ盡せり。 内藤湖南『卑弥呼考』より引用
  • 倭女王卑彌呼は如何なる方法を以て國民を統馭せしかは、『魏志』に記す所の文辭甚だ簡單にして、其の詳なること得て之を知るべからずと雖も、祭祀を以て政治の要道とする一種の神裁政治なりし點に於いては、神功皇后に異る所なきを認めずんばあらず。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 後漢書、三國志、晉書、北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。 内藤湖南『卑弥呼考』より引用
  • 然るに魏の正始八年に至り、女王國と狗奴國との間に戰鬪起り、女王卑彌呼は此亂中に沒したりと見ゆれば、此戰爭が女王國の敗北に終れることと察すべし。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 飜て『魏志』の文を案ずるに、倭女王卑彌呼は狗奴國男王の無禮を怒りて、長く之と爭ひしが、其暴力に堪へずして、遂に戰中に死せり。 白鳥庫吉『倭女王卑弥呼考』より引用
  • 倭の女王卑彌呼、狗奴國くなのくにの男王卑彌弓呼ひみくこもとより和せず。 荒巻義雄『「新説邪馬台国の謎」殺人事件』より引用

女王卑彌呼 の使われ方