奥義を極め

45 の用例 (0.00 秒)
  • 開祖は元上杉家家臣・関之信で、同家中の丸田盛次に師事して霞流砲術の奥義を極め、関流を称することを許される。
  • それはともかく、そうときいては、いかにも二刀流に独特の奥義おうぎを極めた仁右衛門が武者ぶるいするのもむりはない。 山田風太郎『秘戯書争奪』より引用
  • 若くして奥義を極め「千葉の小天狗」と呼ばれ、18-9歳で早くも名人と噂されるほどになった。
  • 北斗神拳の真髄は極限の怒りと哀しみであるといわれ、哀しみを背負う者のみが究極奥義を極められる。
  • クレープスの対位法は、バッハにくらべると見劣りするが、バッハはその奥義を極めていたのだから、このような比較はあまり意味がない。
  • 天正4年25歳の時に江戸増上寺に入衆して浄土宗白旗派の奥義を極め、さらに足利学校において禅を学んだ。
  • 文字通り血によって結ばれた筑摩一族の中でも、その術の奥義おうぎを極めた同志として、特別の一体とも見えた両人が、何やら仲間から浮きあがり、かつ二人がまたべつべつに分離したかのように思われる。 山田風太郎『忍者六道銭』より引用
  • ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
  • このとき山本監督と共に三鷹の竜源寺にある近藤勇の墓参に行き、林住職から近藤勇という人は、天然理心流の奥義を極めた人であることを知ると、たとえ喜劇であっても、それが心掛けというものだと早速天然理心流を教わった。 井崎博之『エノケンと呼ばれた男』より引用
  • 続いて妖術の心得を持つ副統軍賀重宝が守護する幽州も公孫勝の活躍で陥落すると、遼国第一の将軍である都統軍兀顔光の上奏に従い親政を決意すると占領されたばかりの幽州に攻め入り、陣法の奥義を極めた兀顔光が指揮する大乙混天象の陣で梁山泊軍に決戦を挑んだ。
  • 道士アデプトとは、奥義を極めた錬金術師アルケスに対する尊称である。 千葉暁『アルス・マグナ4 大いなる秘法 邪教の都』より引用
  • また俳諧を好み、老鼠堂永機に就いて研究し、奥義を極めた。
  • せがれ茂吉によく似た面長の顔に小さな白髪髷しらがまげをのせているかれは、起倒流柔術の奥義を極めた人物らしくいつも堂々と弁じた。 中村彰彦『恋形見』より引用
  • 醍醐寺の賢覚・実運から東密小野流の法を受け、大和国光明山に長く住し、その後高野山の兼意に従って真言密教の奥義を極めた。
  • 光重は文化人としても知られ、茶道を石州流の片桐貞昌に学んで奥義を極めたり、絵画を狩野益信や狩野常信に学んで狩野派画風の作品を描いたり、また華道や書道にも造詣が深かった。
  • こと大河内おかわち城にこもった国司北畠具教とものりは、剣技を剣聖塚原卜伝ぼくでんに学び奥義おうぎを極めたほどの武人で、頑強そのものだった。 池宮彰一郎『本能寺(上)』より引用
  • 剣術を薬丸自顕流の薬丸兼義に、合伝流兵学を初め伊敷村の石沢六郎、後に荒田村の法亢宇左衛門に学んで奥義を極めた。
  • 戸田信正は、剣術では無敵流、槍術では富田流、そして柔術では戸田流の、三流の奥義を極めた人物である。 夢枕獏『東天の獅子 第二巻 天の巻・嘉納流柔術』より引用
  • 武術を好み、撃剣及び銃術の奥義を極めた。
  • 忠長は英邁で武を好み、光久に従い江戸へ赴いた時、槍術を湯浅武兵衛に、軍法を澤崎主水に学び奥義を極めたとされるが、寛文10年、江戸にて26歳の若さで病死した。
  • 次へ »

奥義を極め の使われ方