奥山廻り

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  • これは十村分役の一つである山廻り役への加役または兼役として命じられたもので、独立した役名ではなく職名であり奥山廻り御用とも呼ばれる。
  • この後も上奥山の奥山廻りは続けられたが、針ノ木谷で盗伐行為が発見されることはほとんどなくなった。
  • 奥山廻りの実施は登山期の6月から8月に、通常は上奥山と下奥山で隔年に行われた。
  • その後、この奥山廻りは明治3年9月の廃止まで続いた。
  • 奥山廻りの初期の目的は国境警備であったが、しだいに世の中が安定してくると木材盗伐や密貿易の取り締まりに重点が変わっていった。
  • これにより加賀藩は奥山廻りなどが松本藩の領内を通行することや伐採した木材を搬出することも得たのに対し、松本藩は塩の供給を得られるようになった。
  • これら奥山廻り御用のパーティが入山しての行動は長い時には20日間にも及び、大量の食糧などを携行し、決まった場所に小屋掛したり野宿などで夜を過ごし、渡渉できない場所では橋を掛けたりといった大変なものであった。
  • 杣たちは奥山廻りが近づくといち早く逃げてしまう。
  • 戦国時代末期以後の加賀藩政時代より北アルプスの大半は加賀藩の奥山廻りによって調査され、山名や地形が詳細な絵図に記録されていた。
  • 戦国時代末期以後の加賀藩政時代より、奥山廻りが毎年のように山頂を踏み、縦走してこれを記録に書きとどめ、詳細な地図まで作成していた。
  • 古い異名では、越中の奥山廻り御用がこの山を後立山と呼び、江戸時代後期の国境見回りの記録絵図には祖母谷を経由する登路を記している。
  • そのため加賀藩では慶長3年以来、地元の者を召し寄せ聴聞し、役人を派遣して実地調査をさせ、やがて奥山廻りを常設して毎年巡視させた。
  • 逃げ去った後の盗伐現場で奥山廻りは、盗伐小屋を焼き払い伐採道具を没収して木材を押収した。
  • 奥山廻りの石黒信由の『三州測量図籍』という1835年の記録には、中岳剣という名でその位置、方向、山容まで詳細に記録されていた。
  • これが奥山廻り御用の始まりである。
  • 奥山廻りとは加賀藩が立山と白山の奥山での国境警備と、杉、欅、檜など重要な樹木7種の保全の為に組織した見分役である。
  • 奥山廻りの調査で最後まで空白だったのは、鷲羽岳周辺や水晶岳、雲ノ平、黒部五郎岳の周辺ではなく後立山連峰の周辺であった。
  • 嘉永2年に針ノ木峠に立てられた木札には、表側に奥山廻り4名の名前と裏側に杣頭20人、平杣200人と書かれている。
  • 奥山廻りらはこの取り締まりに難儀した。
  • 元禄10年から14年までは幕府から提出を求められた国絵図を作成するために、奥山廻りには特別に絵図御用が命じられており、山名、川名、閑道、方位、里程などを詳しく収集して報告している。
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