奉り候

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  • 恭賀新年きようがしんねんと書いて、かたわらに恐縮ながらかの猫へもよろしく御伝声願い上げ奉りそろとある。 夏目漱石『吾輩は猫である』より引用
  • それをなんぞや、においばかりかがしたきりで、ご賢察願いあげ奉り候とはくどいですよ。 佐々木味津三『右門捕物帖』より引用
  • 「死後は墓前にて芸妓御あつめ、三絃など相鳴らし、お祭り下さるよう願い奉り候」 とあるところを見ると、これを死の直前に自分で実行してみたくなったのだと見られないこともない。 大宅壮一『炎は流れる4 明治と昭和の谷間』より引用
  • そして「いよいよ御勇猛にならるべく御越歳目出度き儀と存じ奉り候」とある。 古川薫『花冠の志士小説久坂玄瑞』より引用
  • 私はこれを「しかしながら、やむを得させられざる儀到来に及び候ては、是非に及ばざる儀にこれあるべしと存じ奉り候」と読み、上述のように解釈したのですが、この文書のこの部分は多くの歴史学者が見のがしており、たとえ採用しても十分に利用していません。 海音寺潮五郎『寺田屋騒動』より引用
  • こうしてひたすら「恐れ入り奉り候」では、慶喜にもそれ以上の追及のしようがない。 半藤一利『幕末辰五郎伝』より引用
  • よほど「恐れ入り奉り候」には参ったものとみえる。 半藤一利『幕末辰五郎伝』より引用
  • 当時はコレラが全国的に大流行していたので、芳洲は「当時流行性のコレラ病状でいらせらるるかと存じ奉り候」と結論しているが、「コレラと思う」とは、ずいぶんあいまいな診断である。 海音寺潮五郎『列藩騒動録(三)』より引用
  • 高杉という男は、独創性に富んではいたが、身分意職が強く、前にあげた大庭伝七あての遣書のなかでも、 「ていことも、毛利氏恩顧の士にて、今日にいたり、土民同様の心底は、寸分もこれなく候間、その段かねてご存じの儀と心知奉り候」 と書いている。 大宅壮一『炎は流れる4 明治と昭和の谷間』より引用
  • これにたいして、長州側では、さいごの嘆願におよんだけれど、幕府側でうけつけなかったので、 「今後、幕府よりご沙汰の次第もござ候わば、国境上にて待ち奉り候」 としたためたものを提出した。 大宅壮一『炎は流れる4 明治と昭和の谷間』より引用
  • 隊員も不足なので、近藤は書を近親に寄せて、隊員の周旋を依頼し、「兵は東国に限り候と存じ奉り候」と、気焔を上げてゐる。 菊池寛『大衆維新史読本』より引用
  • 嘆願書とした文字の上には、うやうやしく「上」と記し「恐れながら書付をもって願い上げ奉りそうろう御事」の書き出しが読まれる。 島崎藤村『夜明け前』より引用
  • 漸く心力およばず、是非なき次第ゆえ「領知差し上げ国人お救い下されたく、公儀へ願い奉り候ほか御座無く」という伺い書は、当綱の案文そのままではなかったが、ほぼ似たものだった。 藤沢周平『漆(うるし)の実のみのる国(上)』より引用
  • 忠左衛門が、「なかなか御若輩と申し、御手馴れ遊ばされざる候儀に候ところ、けなげなる御働き感じ奉り候」と賞讃したのも不自然ではなかった。 野口武彦『忠臣蔵 ― 赤穂事件・史実の肉声』より引用
  • 内容は、右の文面を朝廷向きに手直しし、最後を、「すべて是までどおり、徳川家臣僕の御取扱に成しくだされ候ふやう、泣血懇願奉り候」と結んでいる。 白石良夫『最後の江戸留守居役』より引用
  • 全く尊大の風習は散じ、君臣水魚の交りに立至り申すべきことと存じ奉り候云々。 南條範夫『山岡鉄舟(三)』より引用
  • それに添えた書簡に、「世上に於て知る人これ無きも遺憾に仕り候」といい、「願はくは、歴史類御編集の中へ御加へ御座下され候はゞ、本懐の至りに存じ奉り候」という。 白石良夫『最後の江戸留守居役』より引用
  • また曲翠へ「一樽賢慮にかけさせられ、寒風を凌ぎ、辱く存じ奉り候」とか、「油のような酒五升といふは、富貴の沙汰なり、蕎麦粉一重、小使銭二百文、忝く存じまゐらせ候」というような書簡もある。 坂口謹一郎『古酒新酒』より引用
  • したがって「牢屋向き右様みだりに相成らざる様、御取締り筋の義、極内々御賢慮成り下され候様、伏して願上げ奉り候」というわけである。 綱淵謙錠『斬(ざん)』より引用
  • それから、昭和十五年の七月十一日の葉書には、「拝啓唯今御著『閑話休題』拝受大いにかたじけなく、今度の読書の材料豊富感謝奉り候、小説に御精根傾けあらるる事尊敬慶賀無上に御座候、小生晩春よりかけて元気無之これなく候、今度元気回復いたしたし、万々頓首、」と述べてある。 宇野浩二『茂吉の一面』より引用
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奉り候 の使われ方