太平御覧

29 の用例 (0.00 秒)
  • 先づ宋の太宗の太平興国八年に成つた太平御覧に本草経の文を引くものがすこぶる多い。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • そして、宋代初頭の『太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれている。
  • そうしたなかで特に著名なのが、『太平御覧』である。
  • このときの様子は『太平御覧』が引用する『秦書』に記されており、新羅王楼寒が国号を斯盧から新羅に改めたことを報告した、としている。
  • こうして中国正統の本草書の位置を占めるようになったが、現在みることができるのは敦煌写本の残巻や『太平御覧』への引用などにすぎない。
  • もともと「列異伝」という題名自体、誰でも付け得るものであり、『太平御覧』所収の諸文献を比較すると、撰者を記していないケースが多い。
  • 両書とも現存はしていないものの、『太平御覧』に引用された『廷尉決事』の逸文より、漢や魏の廷行事を集めて編纂した書物であったとみられている。
  • 「陌」の使用例としては、『太平御覧』に所収されている東晋の劉超の文章に「臣に正陌三万銭・五疋の布有り」という言葉が見られる。
  • 諸友人諸門人と倶に北宋本太平御覧、我国伝ふる所の千金方、医心方等に就いて、その引く所の文を摘出し、自ら古本草経のルコンストリユクシヨンを試た。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • また、『太平御覧』・『史記正義』に引く逸文には烏江について地誌的に記述したものもある。
  • 晋代に成立した蔡琰の伝記が『後漢書』の列伝や『芸文類聚』、『太平御覧』等に収録されたため、避諱後に出来た名称の文姫が後世に広く伝わった。
  • 中国での縊鬼は「いき」と読み、『小豆棚』『太平御覧』『聊斎志異』などの中国の古書に記述がある。
  • なお、『旧唐書』・『太平御覧』には『廷尉決事』、『隋書』には『魏廷尉決事』と呼ばれる書があったことが記されている。
  • 清盛はまた、治承3年に『太平御覧』を購入して人に書写させ、写本は手元において、印刷本は女婿にあたる高倉天皇に献上するなど、新知識の導入にも努めた。
  • なお、台を使っているのは、宋本『太平御覧』に引用されている『魏志』、『後漢書』、『梁書』、『隋書』等であるが、専門的になるので詳細は省く。 荒巻義雄『「新説邪馬台国の謎」殺人事件』より引用
  • 一方、勅撰の類書でみると、宋代の『太平御覧』は成本が10世紀で現存の『三国志』写本より古いが、『三国志』を引用した箇所をみると「邪馬臺国」の表記が用いられている。
  • 瀬戸内航路の確保、大宰府の対外交渉権の接収、摂津国大輪田泊の修築・宋船入港許可などによって日宋貿易を拡大した平清盛は、治承3年に太平御覧を購入して書写させ、写本は手元において、摺本を高倉天皇に献上している。
  • 宋と高麗との間で頻繁に使者が往復し、宋から『文苑英華』・『太平御覧』、高麗からは『宣和奉使高麗図経』が互いに送られた。
  • また、『太平御覧』三百五十五所引述異記にて、「慕容廆の遠祖の乾羅は、金銀鞍勒の白馬に乗って天より降り立った」との伝説がある。
  • これらは現在では、劉峻の『世説新語』注、裴松之の『三国志』注、李善の『文選』注、『太平御覧』などの引用として部分的に残っているのみである。
  • 次へ »