太平公主

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  • 太平公主たいへいこうしゅと宰相の竇懐貞とうかいていたちがまだ権力の座にいたからでございます。 夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三』より引用
  • しかし太平公主と対立したことから再度失脚させられ、地方官に左遷される。
  • 薛紹は、太平公主を妻とし、やはり李沖の事件のときに死んだ。
  • 聖暦年間、叔母の太平公主・妹の安楽公主らとともに府衛を設立した。
  • 公主は皇帝を父に持つ皇女のことを指すが、太平公主の場合、父母ともに皇帝である。
  • しかし隆基と太平公主との間には、主導権争いが発生する。
  • 太平公主は、いったんは脱出して寺に身を隠しましたが、我々に捕えられ、ついに死をたまわったのでした。 夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三』より引用
  • しかし1ヶ月後には、叔母の太平公主と従兄の李隆基の手により韋后母娘とその一族は殺害された。
  • 太平公主が慧範を聖善寺の寺主とした例を挙げる。
  • その後、今度は李隆基と太平公主による争いが起こる。
  • これは712年に隆基が睿宗から譲位されたのちに太平公主を殺害し、実権を掌握したことで決着を見る。
  • しかし武氏の眷属は李氏を筆頭とする唐朝貴族と密接な姻戚関係を構築していたため、唐朝再興に伴う粛清は太平公主や武三思などには及ばず命脈を保った。
  • 開元元年、史崇玄の背景にいた叔母の太平公主が政変で自殺し、史崇玄が誅されたため、この後は玄宗のもとに道教を指導した葉法善、司馬承禎らの弟子となる。
  • この謀事はかりごとは全て我等に筒抜けになっており、我等はその裏をかいて、彼等が事を起こす前日の七月三日に、部下の将兵三百余人を率いて宮殿に攻め入り、太平公主の謀議に顔を出した主だった者たちを捕え、斬りすてました。 夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三』より引用
  • 母の武則天は、自分と容姿や性格がよく似ていた娘の太平公主を寵愛し、吐蕃から公主の降嫁を願う申し出があった際も、決して許さなかった。
  • 隆基はこれを教訓とし、太平公主と協力して韋后排除を計画、710年に計画が実行され、韋后の一族を皆殺しにした。
  • 弘道元年、高宗が崩御すると子の李顕が即位するが、中宗の皇后韋氏が血縁者を要職に登用したことを口実に、太平公主を使って中宗を廃位しその弟の李旦を新皇帝に擁立した。
  • はたして、太平公主たちが、側近たちと謀議して謀反むほんを企てたのは、翌先天せんてん二年のことでございました。 夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三』より引用
  • 太平公主の推薦により考功員外郎に抜擢され、修文館学士を兼ねた。
  • ここに皇妹として太平公主の権勢は頂点に達し、万戸の封を与えられ、所生の男子3人もそれぞれ王に封ぜられ、一族も高位高官を占めた。
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