天王橋
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名詞
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三陸自動車道河北ICのアクセス道路として2001年に開通。従来はT字路で、ボトルネックになっていた天王橋北側の交差点を改良することによって、天王橋前後の慢性的な渋滞を緩和した。
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さらに上空を多摩モノレールが通過している。武蔵砂川駅から西武立川駅の区間は開業当初から盛り上げてあり、複数の道路が交差して慢性的に渋滞を起こしやすい構造の天王橋交差点の上を架道橋で越えている。
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明治の神仏分離令以前は素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されていた。周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残る。
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米屋から御蔵通りを戻る伊勢屋の歩みは速かった。小さな堀に架かった天王橋を渡れば、伊勢屋まであと三町だ。昼が近く、強い陽が真上にあった。
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どこかで鳩の声がきこえた。筋向うの、大きな濡れ仏の見えるお寺の角を急いで曲って、天王橋のところまででてきて、はじめて圓朝は、自分を取り戻したような心持になった。もうここまできてしまえばいい。
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立川市内の分水は、昭島市との境界付近から天王橋までは遊歩道として利用され、開渠部分は立川市内では玉川上水付近のごく一部が残っている。五日市街道沿いの流路は1960年代には歩道となって水路を見ることができなくなっている。
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天王橋は、宮城県石巻市の旧北上川に架かる国道45号の橋である。石巻市の旧河南町鹿又地区と旧河北町小船越地区を結ぶ。
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その叔父の名は忘れましたが、これは国許で医者をしていたそうです。その叔父が十一月なかばに江戸へ出て来て、かたきの与右衛門が年貢納めに江戸へ来ると云うことを教えたので、おたかは主人から暇を取り、与右衛門が天王橋を通るところを待ち受けて、叔父の手引きで本意を遂げました。しかし相手の与右衛門が確かに幸七を毒殺したという証拠が薄いので、このかたき討ちの後始末はなかなか面倒になりました。
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偽らざるこれが圓朝の本音だった。「まず御先祖さま、お心づけのやれる私にだけ、大急ぎでさせて下さい」 ギーイと音立てて開いた番傘を真っすぐにさし、天王橋を後に、御廐橋のほうへ歩きだしながら圓朝はさらに口の中でこう頼んだ。この道、大廻りは百も承知、金龍寺をでてつづく寺町を北へ、佐竹のほうへ抜けるとするとどこもかしこもお寺ばかりで、いつ迄もいつ迄もそこら中のお寺の門番から心づけをやらないことを叱られているような情ない気がされてならないからだった。
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天王橋寄りが一ノ口、森田町の方が中ノ口、八幡町に寄って三ノ口と三ツ門があって、米の出し入れをして、相場も此所できまる。浅草寺に向って右側で、御蔵の裏が直ぐ大川になっており、蔵屋敷の中まで掘割になって船がお蔵の前に着くようになっていた。
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浅草天王橋のかたき討ちというのです。この仇討は十一月の二十八日、常陸国上根本村の百姓、幸七の妹おたかというのが叔父の助太刀で、兄のかたき与右衛門を天王橋で仕留めた一件です。与右衛門は村の名主で、年貢金を横領したとか云う捫著から、その支配内の百姓十七人が代官所へ訴え出ましたが、これは百姓方の負け公事になりました。
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元弘の乱の際に構築されたと伝えられるものとして六田、丹治、一の坂、飯貝の4つの城塁と大橋、天王橋、丈之橋の橋が架かった空堀がある。このうち一の坂は従来の吉野山への参道の途中ということもあり遺構は消滅している。
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わたくしは四谷の知りびとをたずねる途中、麹町三丁目へまわって、例の助惣焼の店で手土産を買っていると、そこへ瓦版の読売が来ました。浅草天王橋のかたき討ちというのです。この仇討は十一月の二十八日、常陸国上根本村の百姓、幸七の妹おたかというのが叔父の助太刀で、兄のかたき与右衛門を天王橋で仕留めた一件です。
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目の下に光る水は三味線堀である。甚助橋、稲荷橋、鳥越橋、天王橋など、幾つもの橋をくぐりぬけて、ひたすら漕ぎくだるうちにも、荷を積んだ舟と無数にすれちがった。江戸は堀割りの町、水路が四通八達した水の町なのだ。
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天王橋より五日市街道に沿う農家の庭先を延々と流下し関野橋より南下し水路の上を横断し、小金井の畑地を通り中央本線を境変電所付近で横断し、小金井市、三鷹市を通り、三鷹市野崎より調布市、深大寺、金子の水田の灌漑用水として引水される。