天文密奏宣旨

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  • なお、室町時代には暦博士の賀茂氏に対しても天文密奏宣旨を下された例がある。
  • 国道は翌承久2年までに天文密奏宣旨を受けて陰陽権助に任ぜられていたことが知られている。
  • 朝廷では3派の対立の緩和の一方で、その技術力の維持・向上と3派間の相互判定を目的としてそれぞれの派の有力者に天文密奏宣旨を与えた。
  • このため、朝廷はより正確な解釈を求めて各流の有力者に対して天文密奏宣旨を与えることになり、12世紀末期には6・7名の密奏者がいる状態になった。
  • 日本では、天文博士あるいは天文密奏宣旨を受けた天文学・占星術に通じた人物が、異常な天文現象を見つけた際には、占いの結果と過去に発生した同様の事例から勘案してその意味を解釈したものを観測記録とともに奏書に認めて密封して、速やかに陰陽頭を通じて天皇に対して上奏されることとなっていた。
  • 天文道の分野で卓越した才能を発揮し、その子孫は代々天文密奏宣旨を受けて天文博士となり、「宗明流」の事実上の祖となった。
  • これは当時の天文権博士和気久邦が伊予国に滞在中であり、天文密奏宣旨を受けた2名も技術が未熟であったために応急措置として与えられたものである。
  • また、中原氏に対する天文密奏宣旨も元永元年の中原師安を最後に途絶え、安倍氏の人物に対してのみ出されることとなる。
  • そこで、関白藤原師通らが、天文密奏宣旨授与者である中原師遠と天文博士安倍親宗を喚問したところ、師遠は流星に気付かずに観測が出来なかったために密奏が出来ず、親宗は天文異変ではないので天文密奏の必要性は無かったと回答している。
  • 更に平安時代末期になると、安倍氏によって天文博士の地位と天文密奏宣旨の独占が行われるようになるが、安倍氏のもう1つの家学である陰陽道との密着と安倍氏内部の内紛が天文密奏に混乱を与えた。
  • 更に安倍氏の家系の分裂とともに天文博士の地位や天文密奏宣旨の授与を巡る争いも激化する。
  • なお、全ての異常な天文現象が天文密奏の対象になったわけではなく、天文博士・天文密奏宣旨授与者が占った結果、重大な変事の前兆と判断された出来事に限定され、天文博士・天文密奏宣旨授与者が異常の発生に気付かなかった場合も密奏は行われなかった。
  • 寛治5年父・師平の明経博士辞任に伴い直講に任ぜられると、寛治7年に天文密奏宣旨を受け、初めて釈奠の座主役を務めて『孝経』を講ずるなど、儒学者としての経歴を重ね、承徳2年には直講の功労により従五位上に叙せられている。