大阪造兵廠

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  • 砲は大阪造兵廠が製作し、車体は第四陸軍技術研究所が担当した。
  • 大阪造兵廠第一製造所では1942年10月までに38門を製造した。
  • 実際に、砲は砲架を改造したものが大阪造兵廠で完成された。
  • 生産数は、昭和17年末の時点で81門製造とする大阪造兵廠第一製造所の記録が残る。
  • 大阪造兵廠第一製造所の調査によると1942年10月現在までの生産数は1238門であった。
  • 以前から大砲など大型の機材を扱ってきた大阪造兵廠にとっても戦車製造は初めてであった。
  • 三式穿甲榴弾は、大阪造兵廠枚方製造所において約9000発製造された。
  • 大阪造兵廠第一製造所の昭和17年10月末の調査では、この時点で598門製造されていた。
  • 一説には約90門が生産されたとも言われるが、大阪造兵廠第一製造所の調査によると1942年10月現在までの生産数は僅か17門であった。
  • 大阪造兵廠第一製造所の1942年10月末の火砲製造完成数によれば、本砲の製造数は430門であった。
  • 一説では、このエンジンは3年前に技術本部火砲班が大阪造兵廠に自走砲を試作した際に作られて工場の隅に放置されていたエンジンをそのまま流用したとも、新たにエンジンを設計したともされる。
  • 製造数について、大阪造兵廠第一製造所が昭和17年10月末に作成した火砲完成製造数の報告では、31門完成としている。
  • 大阪造兵廠第一製造所の1942年10月末の火砲製造完成数によれば、この時点での本砲の累積製造数は691門であった。
  • 同年5月に大阪造兵廠において駆逐戦車に装載して試験を行った後、翌月にかけて陸軍戦車学校にて実用試験を実施したが、同年8月、研究中止とされた。
  • 一〇〇式三十七粍戦車砲を基礎として更に各部を補強、初速増大を狙って1941年7月研究着手し、一〇〇式三十七粍戦車砲同様に九七式車載重機関銃と双連としたもの及び三十七粍砲単体のもの各1門を大阪造兵廠に発注、同年11月試製砲が竣工した。
  • 製造は大阪造兵廠である。
  • しかし、日中戦争から太平洋戦争にかけて日本製鐵広畑製鉄所や川崎航空機明石工場、陸軍大阪造兵廠播磨製造所などの軍需工場が山陽電気鉄道の沿線に進出したことで状況は一変する。
  • 計画では5月に設計を完了したのち大阪造兵廠で試作、8月に試作完了したのち大津川で竣工試験し、9月に大津川射場で機能試験、10月に伊良湖射場で砲を試射し弾道を試験、11月に実用試験というものであった。