大野晋

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  • 大野晋の説については比較言語学の方法上の問題から批判が多い。
  • 大野晋氏の『日本国家の起源』にも、このような考え方がみられます。 石田英一郎『日本文化論』より引用
  • 宣長の生涯にわたる恋愛生活は、大野晋により明らかになった面が大きい。
  • 大野晋などの主張によれば、言語と文化は一致するものではないにせよ、完全に無関係のものとして分けきれないものである。
  • 大野晋によればこれが本来の用法で、倒置法によって係り結びが生じたという。
  • 大野晋は日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点を持つとの説を唱えるが、比較言語学の方法上の問題から批判が多い。
  • 国語学者大野晋は、日本語の原型がドラヴィダ語族の言語の影響を大きく受けて形成されたとする説を唱えている。
  • 大野晋は、「が」と「は」はそれぞれ未知と既知を表すと主張した。
  • 他方、前にもその説を引用しました、言語学の大野晋氏はやはりいまいったような経路で、稲作文化を日本に伝えた人種が出現したと考えています。 石田英一郎『日本文化論』より引用
  • 作者についての署名は無いがこれが藤原定家の著作であるというのは、大野晋によってこの中に示された仮名遣いが定家書写の写本のものと一致することから、間違いないとされている。
  • 大野晋はインド南方やスリランカで用いられているタミル語と日本語との基礎語彙を比較し、日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えるが、比較言語学の方法上の問題から批判が多い。
  • また大野晋のタミル語起源説を痛烈に批判した。
  • これではよく発音できないのは必然的な結果で、当然、何を言つてゐるのかさつぱり判らない場合が多いが、このしやべり方はいま大変な流行らしく、たとへば大野晋教授のやうな偉い国語学者が、このままでゆけば日本語はまもなく母音だけの言語になると心配するやうにさへなつてしまつた。 丸谷才一『日本語のために』より引用
  • 大野晋は、これらのことから、中国の道教が伝わって広まる以前の弥生時代から が伝わり、由来となったと指摘している。
  • 宣長が松坂で「源氏物語」の講義をはじめた三十歳前後のものらしいと大野晋氏は推定していられるが、私の読んだのは有朋堂文庫の雅文小説集という徳川時代の擬古文の小説ばかり集めてある終りの方に組入れられていた分のであった。 円地文子『源氏物語私見』より引用
  • もっとも、このような見解については『源氏物語』成立の背景に以下のような理由を挙げている大野晋の見解のように、氏族として藤原氏と源氏が対立しているとはいえず、仮に、そのようなものがあったとしても個人的な対立関係の範疇を超えないとして、問いかけの前提の認識に問題があるとする見方もある。
  • また昭和30年代には、日本語学者の大野晋が、日本語の母音の終わりの音韻構造をポリネシア語起源とし、身体語彙にインドネシア語と類似するものが多いと主張した。
  • 但しヲとオの使い分けは定家のものとは異なっているが、大野晋はアクセントの歴史的変化が既にあり、定家の頃と違ったためとしている。
  • そして大野晋さんが『万葉集』の巻十三の短い長歌の三三三一の歌を解釈するときに、「木が細かく繁って、見れば見るほど隙き間のないやうになっているといふこと、これが山のくはしヽヽヽヽヽであり、つまり美しいヽヽヽことなのである」といったのを引用しています。 李御寧『「縮み」志向の日本人』より引用
  • 日本語とドラヴィダ語族との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していない。
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