大輔に任官

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  • 長じて中務大輔に任官すると足利方の武将として従軍した。
  • 慶広は前田利家らに取りいって、同年12月、 豊臣秀吉に謁見を果たすと、所領を安堵と同時に従五位下・民部大輔に任官された。
  • この際に将軍義持の偏諱を受けて「義淳」を名乗り、従五位下治部大輔に任官する。
  • しかしながら、正室に北条時頼の姪である阿蘇為時の娘を迎えていたこともあって北条氏から重用され、建長5年に中務大輔に任官されたのをはじめ、弘長元年には検非違使・左衛門大尉に任官し「足利判官大夫」と称された。
  • この頃に式部大輔に任官される。
  • 義龍は尾張織田家との戦闘が続くなか京都の将軍家足利義輝より一色氏を称することを許され美濃守護代家斎藤氏より改名、永禄元年に治部大輔に任官し、永禄2年には足利幕府相伴衆に列せられ戦国大名としての大義名分を得た。
  • のち、弾正大弼・刑部卿・近江権守・伊予権守を経て、貞観12年式部大輔に任官する。
  • 護良親王の王子良伊王は、正平3年、蝦夷地を管する北地王に任ぜられ北部王家といわれ、南北合一後も足利氏に下らず南朝恢復を志したが、5代目義純に至り上洛して将軍足利義量に謁し従5位上民部大輔に任官した。
  • 「後南朝事件」とも呼ばれ、護良親王の王子良伊王は、正平3年、蝦夷地を管する北地王に任ぜられ北部王家といわれ、南北合一後も足利氏に下らず南朝恢復を志したが、5代目義純に至り上洛して将軍足利義量に謁し従5位上民部大輔に任官した。
  • 寛永8年、光久・弟忠紀と共に将軍徳川家光の前にて元服、また大御所徳川秀忠に拝謁、刀などの拝領と共に従五位下式部大輔に任官される。