大蔵大輔

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  • と、あの親しく思っている大蔵大輔たゆうを使いにして言わせたのであった。 与謝野晶子『源氏物語』より引用
  • なお、大蔵村の由来は、清水義親が大蔵大輔であったことに由来する。
  • それから十日経った十二月中旬のある日、大蔵大輔井上馨から呼出状がきた。 南條範夫『山岡鉄舟(三)』より引用
  • 使いにはあの大蔵大輔たゆうが来たのである。 与謝野晶子『源氏物語』より引用
  • このとき、大蔵卿大久保利通の外遊に反対したのが大蔵大輔の井上馨である。 松本健一『われに万古の心あり』より引用
  • 延暦9年大蔵大輔に任ぜられたのち、三河守・阿波守を歴任した。
  • これには同族たちの強固な反対に遭遇しなければならぬと見て、大蔵大輔の井上馨を操った。 小堺昭三『男の切れ味(上)』より引用
  • このため伊藤内務卿のあとは薩摩出身の大蔵大輔松方正義まつかたまさよしが転じた。 松本清張『象徴の設計 新装版』より引用
  • 更に元和6年閏12月9日には大蔵大輔に任ぜられ、翌年正月には従四位上に叙せられた。
  • その後、桓武朝では世職であった大蔵大輔・内蔵頭を務めた後、延暦6年讃岐守に任ぜられ地方官に転じている。
  • 職制上は副大臣にすぎない大蔵大輔の井上が大きな権力を持つことになったのは、明治初年においては省卿に公卿が多く名目的に就任し、補佐官である大輔のほうに実力者が就いて事実上の大臣業務を行っていた名残でもあり、また大蔵省に膨大な権限が集中していたためでもある。
  • 承和13年38年ぶりに昇叙され従五位上となり、翌承和14年大蔵大輔に任ぜられる。
  • 官位は従四位下、侍従に任ぜられ、大蔵大輔、のちに上総介、飛騨守となる。
  • その企画の中心人物は、建設方面が東京府知事由利公正きみまさと、財政方面が大蔵大輔井上かおるであった。 山田風太郎『警視庁草紙(上)』より引用
  • 清和朝では、貞観3年大蔵大輔に任ぜられたのち、貞観4年正五位下・加賀守、貞観10年従四位下・大和守に叙任されるなど地方官を歴任した。
  • さらに大蔵大輔となった大隈は、外国から苦情が殺到していた贋造の旧二分金の回収を急いだ。
  • 金春家のみならず、宮王家や大蔵家など歴代の竹田氏は諱の通字を氏と安としていることからもわかるように、秦氏安は一族にとって重要な人物であり、竹田氏金春家の家伝ではこの秦氏安の官名が大蔵大輔だった。
  • 維新政府が出来た時、井上が大蔵大輔に任命せられて、維新政府の財政の局にあたったのは、このいんねんにちがいない。 海音寺潮五郎『史談と史論(上)』より引用
  • 後陽成天皇にその才能を寵愛され、地下官人では異例の院昇殿が認められ、従五位下左近衛将監から正四位上大蔵大輔に至った。
  • 翌貞観7年治部少輔に任ぜられると、のちに刑部大輔・大蔵大輔・左少弁・右中弁と清和朝の半ば以降は主に京官を務め、貞観17年までに正五位下まで昇進している。
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大蔵大輔 の使われ方