大盤振舞い
48 の例文
(0.00 秒)
-
同じくらいケチなのに「ビューティフルライフ」大当たりではないか。いや、彼女はきっと私の知らない所で大盤振舞いしているに違いない。それより何より、「ビューティフルライフ」と名を出した段階で、北〇さんの〇部分バレバレではないか。
...
-
当時の座員にきいても、酒は強かったそうだが、まずビアホールに行き、生ビールで下地を作ってカフェーあたりを一軒、それに寿司屋あたり。座員を何人連れてったとして大盤振舞いをしたってたかが知れてる。映画スターとちがって待合に居続けしたりするわけでもないらしい。
...
-
酔ったついでに飯盛女をよぶと四百文。そのほかを合して一日に千文もあったら大盤振舞いの旅ができる。当時の金の計算では四千文が一両。
...
-
また、法的に離婚のできぬ国の夫婦が、この船のなかで、つまり日本の法律により、やっと離婚でき、二人は大喜び。他の乗客たちに大盤振舞いをしたという例もあったそうだ。
...
-
と、ひときわ大きな歓声があがった。何だかよくわからないが、周囲の反応からしてかなりの大盤振舞いのようである。ラッキーを引き当てた麗華も、思わぬ歓待にご機嫌斜めならぬ様子だ。
...
-
-
大坂方も恩賞を餌に同じように、どの大名にも馳走の手紙を出しているに違いない。徳川家の二百五十万石を分け与えるつもりなら、かなりの大盤振舞いができるはずである。ひょっとするとその面では大坂方の方が有利かもしれないと、家康は筆を休みながら思っていた。
...
-
きみはおれの記憶を充分に呼び起こしてくれた。しかし、それで諸君が今からワインの大盤振舞いにありつけると思ったら、これは見当違いだ。
...
-
啓子は三十ルピーをフロントマンに渡した。かなりの大盤振舞いだけれど、それだけの価値はあった。弘美と啓子はホテルのレストランに入り、ほぼ一週間ぶりのコーヒーを飲んだ。
...
-
それ以後口をつぐんでしまった。こうして社運を賭した大盤振舞いの旅行が終了したのだが、帰国後彼らの会社から発注書が届くことはなかった。社長は私に泣き出さんばかりに訴えた。
...
-
二回ほど何か書いて使ったけど結局はただひたすら溜るだけで、こんなことはもうやめようと、ある日決断して、その溜った裏白の厚紙を、もったいないけど、 「バッ」 と捨てた。何か大盤振舞いするような気持だった。
...
-
正午の太陽が照りつけている街道を、ときどき、老いぼれ馬に引かれた腰掛けつき四輪馬車がガタガタ揺れながら通った。仕事着を着て馬を御している男は、うらやましそうに横目で、軒なみの大盤振舞いを見てすぎる。建具屋の家では、午前の感動の名残りで、陽気なうちにも、どこか控え目なところがあった。
...
-
それはまるで黒蟻の大群のようであった。工事は、土俵一俵を運ぶごとに、銭百文と米一升与えるという大盤振舞いで、予想以上に進んでいた。いまは足守川に造った堰から流れ込む水と降りしきる五月雨が、急速に高松城の周囲の田畑を浸水させていた。
...
-
大勢の弟子への容赦せぬ指導、金に糸目をつけぬ大盤振舞いなどを見ながら、子供心に、と、息をのむ日々を過ごした。常陸山の字引きに「蓄財」という字はなかった。
...
-
さて彼らは、前にダマスでしたように、まずティグリス河に臨む屋敷を借りましたが、そこの眺望はすばらしく、教王の「歓楽御苑」と似た庭園がありました。二人はそこで並外れた豪勢な暮しをし、他に類のないような大盤振舞いをし、宴会を催しました。そしてひとたび客が飽きるまで飲み食いすると、その残りは貧しい人たちと修道僧に配らせました。
...
-
これらの流行は文学の範囲をこえた影響をおこしていて、哲学者といわれる田辺元博士まできわめてジャーナリスティックな扱いで実存主義にふれるような傾向をよびおこしました。坂口安吾の文学は、毎月彼と関係のあるジャーナリストを呼んで大盤振舞いをするほど繁昌しています。田村泰次郎氏の肉体主義は彼にりっぱな邸宅を買わせたと新聞に出ました。
...
-
コンクリートで固められた凹地に大小何種類も放し飼いにしてあった。妻は、三匹百円のサバをバケツ一杯買い込み、大盤振舞いした。プールのはずれに、小山のようなのが一匹うずくまっていた。
...
-
武兵衛は、鬼勘を侮蔑する戯れ唄を作って流行らせた。勘蔵が桜祭と称して近在の芸妓を集めると、武兵衛は紅葉祭というのをやり堅気の衆も加えて大盤振舞いをした。武兵衛が先代の法要に江戸から虎屋の職人を呼び寄せて饅頭を作らせると、勘蔵も負けじと江戸名物の浅草餅を取り寄せて藤岡中に配らせた。
...