大田文

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  • ただ頼朝の頃から、守護が在庁官人を指揮して大田文を作成していた。
  • 田率所課を決定するために作成されたのが大田文である。
  • 大田文の成立には、一国平均役との強い関連が想定されている。
  • 大田文に記載されている公田の数量に応じて課税する段銭を公田段銭と呼ぶ。
  • 幕府は公事田を正確に把握するために大田文を作成させた。
  • 建久8年には、薩摩国や大隅国などで大田文を作成させ、地方支配の強化を目指している。
  • また、一国平均役の賦課は、国衙が作成した国内の土地台帳である大田文を基にして実施された。
  • また、『淡路国大田文』の記述から、鎌倉時代初期には神宮寺があったとわかる。
  • 国衙を掌握した守護は、国衙行政の基礎資料である大田文による領国支配を行うようになる。
  • 幕府が国衙の在庁宮人に命じ諸国の大田文を作らせていることは、国衙に対する幕府の支配力を示している。 秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏 その3』より引用
  • 大田文には大きく分けて2つあり、1つは国司が在庁官人に命じて作成されたもの、もう1つは幕府が守護に命じて作成されたものである。
  • 鎌倉時代には従来の国衙領をはじめとする公領と地頭のみにしか定公事田は設定されなかったが、南北朝の内乱を通して守護・地頭権力の浸透が進み、全ての大田文記載地に適用されるようになった。
  • 鎌倉幕府による武家役は関東公事と呼ばれ、御家人に対して大田文に記載された所領内の公田の広さに応じて賦課された。
  • この時期の大田文には、筵付と筵払が別の付加税として扱われていたことを示すものがあるが、中世後期に入ると両者の区別が曖昧になり、筵払のことを指して筵付とも呼ぶようになった。
  • 大田文には、国内の国衙領・一部荘園の詳細が記録されており、守護は大田文に基づいて、国衙領・荘園への支配を強化することが可能となり、ひいては荘園公領制の解体・崩壊が一層進んでいくこととなった。
  • 摂津国守護職はその後に改易されたが、淡路国守護職は鎌倉時代末期まで長沼氏に相伝され、貞応2年には淡路国の大田文まで作成された。
  • 国内の荘園・公領の領主・田地面積・作物等を記録した租税台帳である大田文の作成にも携わった。
  • さらに父綾三郎の従兄弟いとこ、大田文南の子昇平は外交官としてメキシコへ赴任する留守中、夫人の教養面の指導を吟子に依頼してきた。 渡辺淳一『花埋み』より引用
  • が設置された荘園戦国大名もこれを継承して貫高の基準としたが、次第に大名独自の検地・検地帳が採用されるようになり、旧来の大田文に基づいた「公田」概念は希薄化していくことになる。
  • 賀集荘は、貞応2年の淡路国大田文には高野山宝幢院領とある。
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