大御所秀忠

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  • 大御所秀忠は西丸に隠居したまま、治政のことには容喙ようかいしなくなっている。 堀和久『春日局』より引用
  • 大御所秀忠の死は、年が明けた寛永九年一月二十四日である。 堀和久『春日局』より引用
  • 跡を継いだのは秀行と振姫の間に生まれた長男の忠郷で、忠郷は寛永元年に将軍家光、大御所秀忠を江戸屋敷に招くなど幕府との関係を強化した。
  • 七月に予定されている大御所秀忠と将軍家光の上洛の、大掛かりな準備のためである。 堀和久『春日局』より引用
  • 寛永元年には江戸藩邸に大御所秀忠と将軍家光の御成を迎えた。
  • この翌年正月二十四日に、大御所秀忠が亡くなった。 海音寺潮五郎『列藩騒動録(一)』より引用
  • 忠長の悪い噂は、病床の大御所秀忠に少しずつ、側近の口から毒のように吹き込まれていた。 平岩弓枝『火宅の女-春日局』より引用
  • 寛永三年になって、大御所秀忠はその時の夏から秋にかけて上洛し、帝の二条城行幸の計画をたてた。 平岩弓枝『火宅の女-春日局』より引用
  • 一人は千姫を母にして産まれ、大御所秀忠が父親代りになって、池田家へ輿入こしいれをした。 平岩弓枝『千姫様』より引用
  • 二回目は、寛永三年、二十三歳の時、やはり、大御所秀忠のあとを追って、上洛している。 柴田錬三郎『嗚呼 江戸城(中)』より引用
  • この年、西丸では、正月から大御所秀忠の食が進まず、床に臥せる日が多くなっていた。 堀和久『春日局』より引用
  • お福は、しかし、病臥の大御所秀忠のために断食をし、水垢離みずごりをとっているのではなかった。 堀和久『春日局』より引用
  • 寛永三年の上洛は、皇太子御誕生を祝賀するために、大御所秀忠が、云い出したことであった。 柴田錬三郎『嗚呼 江戸城(中)』より引用
  • 土井、酒井の両人は、このことを一応大御所秀忠に伺いを立てた。 海音寺潮五郎『江戸城大奥列伝』より引用
  • 寛永9年に大御所秀忠が卒し、家光が完全に権力を握ると、最初の鎖国令を発した。
  • 大御所秀忠は健在であり、幕閣は老職達が政務を行っていて、格別、支障を来たすことはないが、将軍が一年の半分近くを病臥しているのはあまり風聞のよいものではなかった。 平岩弓枝『火宅の女-春日局』より引用
  • 大御所秀忠は、六月二十日、家光より先に上洛の途についた。 堀和久『春日局』より引用
  • 大御所秀忠の死後、家光はゆかりの人々に秀忠の形見わけを行ったが、その中、千姫には黄金五万枚が贈られた。 平岩弓枝『千姫様』より引用
  • ちょうど、その春のあたりから、大御所秀忠はれ物が出来たり、を患ったりしていたが、夏になって体調を崩し、医師がまゆをひそめる状態になった。 平岩弓枝『千姫様』より引用
  • 江戸城は西の丸が大御所秀忠の江戸の居館として改築されていて、その西の丸大奥はこの夏まで大御台所、お江与の方が女主人であったが、今はあるじなき御殿になっている。 平岩弓枝『千姫様』より引用
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