大御所政治

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  • しかし、大御所となった後も家康は現役将軍の権威を配慮しつつも政治を主導していたため、大御所政治と呼ばれた。
  • 南部は今川時代からこの地域の中枢であり、徳川時代には現在の駿府城公園の場所に徳川家康が大御所政治を行った駿府城が築かれた。
  • 家康は1590年に関東移封となるが、江戸幕府を開いたのち隠居、再び駿府城に居住して大御所政治が展開された。
  • これは、いわゆる大御所政治の時に家康が駿府に政庁を開き、幕府と別に人材を集めて徳川秀忠の発給文書と別の二重文書を発行していたという史実から発想したものである。
  • 家斉は将軍職を子の家慶に譲った後も実権を握り続けたので、この政治は「大御所政治」と呼ばれている。
  • また、この頃は第11代将軍・家斉の下で「大御所政治」と呼ばれる放漫的な政治が行なわれていたため、伊達氏は幕閣に賄賂を贈って凌いでいたとも言われている。
  • しかし、天保八年に子の家慶に職を譲っても、自分は西の丸に退いて大御所政治をおこなった。 松本清張『鬼火の町 新装版』より引用
  • 家斉は将軍職を子の家慶にゆずった後も実権をにぎり続けたので、この政治を「大御所政治」とよんでいる。
  • いわゆる大御所政治である。 松本清張『鬼火の町 新装版』より引用
  • 当時の家斉は、隠居してからも、将軍家慶いえよしには実権を譲らず、いわゆる大御所政治をいていた。 松本清張『鬼火の町 新装版』より引用
  • 忠邦は異国船が日本近海に相次いで出没して日本の海防を脅かす一方、年貢米収入が激減し、一方で大御所政治のなか、放漫な財政に打つ手を見出せない幕府に強い危機感を抱いていたとされる。
  • 駿府城の改修により、家康は大御所政治を始動する。
  • 有東木のワサビは、駿府城で大御所政治を執っていた徳川家康に献じられ、その味が絶賛されたこと、またワサビの葉が徳川家家紋の「葵」に通じることから幕府の庇護を受けることとなった。