大御所となる

20 の用例 (0.00 秒)
  • このように、将軍職を退いて大御所となることも、一種の隠居と言える。
  • 山県が大御所となっている陸軍が、フランス方式からドイツ方式になったのと軌を一つにする。 松本清張『小説東京帝国大学(上)』より引用
  • 大御所となった義持はまだ38歳であり、これは自らが父の義満に早くに将軍職を譲られた例を踏襲したとされている。
  • 但し大御所となっても、政治の実権は引き続きその者の手中にあり続けることが多かった。
  • しかし、大御所となった後も家康は現役将軍の権威を配慮しつつも政治を主導していたため、大御所政治と呼ばれた。
  • 江戸時代には、将軍が引退し大御所となり、さらに太政大臣に叙せられた場合には従一位に昇叙した。
  • 延享2年、吉宗は隠居して大御所となり、嫡男の徳川家重が将軍に就く。
  • 江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居した。
  • 家斉は隠居して大御所となってからも政治の実権を握っていたため、後の人が「大御所時代」と呼ぶようになった。
  • 例外的に40代で頭角を現して瞬時に大御所となった坪山豊のような唄者も存在する。
  • 江戸時代になり、江戸幕府の初代将軍徳川家康と2代将軍徳川秀忠がいずれも将軍職を実子に譲ったことから、実子のある将軍はある時期になると将軍職を退いて大御所となることの方が以後常態化した。
  • 後の大御所となる4人の作家がたった3カ月間に現れたことから、1939年7月号をSF黄金時代の始まりとする見方もある。
  • 天保8年、将軍徳川家斉は西丸で退隠し大御所となり、家慶が将軍職となる。
  • 家斉は天保八年四月、隠居して大御所となったが、なお強い発言力があって、手を下せぬ。 稲垣史生『考証[大奥]』より引用
  • 応永年間に入ると大御所となった義満は毎年1月4日に貞行の屋敷で風呂に入るようになり、以後は恒例の行事となる。
  • 応永6年以前にも御評定始が開かれ「御座」の記載はあるが、これは大御所となっていた義満の事であり、義持が公式の活動を始めたといっても形式的なものでしかなかった。
  • 延享2年に吉宗は隠居して大御所となり、家重は将軍職を譲られて第9代将軍に就任した。
  • 特に安藤直次と成瀬正成は、江戸時代初期に大御所となった徳川家康の駿河政権に参画した。
  • そのためかえって大御所となっていた父の吉宗に咎められて延享4年から3年間も謹慎の沙汰を受けた。
  • 慶長十年、家康が大御所となった年、浅野幸長は、三百八十五艘の石船をさし出した、と記録にある。 柴田錬三郎『嗚呼 江戸城(上)』より引用