大御所として政治

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  • 一方で、義視を養子にした理由は大御所として政治の実権を握る意図もあったとされ、義尚誕生後も義視の立場を変えなかったのは義尚が成長するまでの中継ぎにするためともされる。
  • また自らも1837年に将軍職を息子徳川家慶に譲った後も、1841年に死去するまで大御所として政治の実権を握り続けていた。
  • 同年の11月23日に義政と富子の間に甥義尚が誕生して立場が微妙になったが、義政が後継者を義視に変更しなかったのは大御所として政治を仕切る狙いと、義尚が成長するまでの中継ぎとして義視に予定していたともいわれる。
  • 生存中に将軍職を退いたのは11代・家斉以来であるが、過去に大御所として政治権力を握った元将軍達とは違い、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など趣味に没頭する生活を送り、「ケイキ様」と呼ばれて静岡の人々から親しまれた。
  • その後、秀忠や徳川吉宗、徳川家斉なども、将軍職を息子に譲って隠退し、大御所として政治の実権を握り続けている。