多々羅放庵

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  • ここへきてから金田一耕助が、亀の湯の住人以外に最初に挨拶をしたのは多々羅放庵さんだった。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • 鬼首村の手毬唄にはほかにもいろいろあるようだが、多々羅放庵のあげているのは以上の三節であった。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • 筆者は多々羅放庵たたらほうあんという名になっているが、この雑誌だけでは多々羅放庵氏というのがいかなる人物なのかわかっていない。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • こうして、多々羅放庵失踪事件を中心として、警察の捜査活動は着々として進行していったが、それと並行して村の青年男女の盆踊り準備も抜かりなく進められていたのである。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • この村を配達区域にもつ近在の郵便局を調べたところ、昭和二十八年十二月以降、どこからも多々羅放庵あての送金があった形跡はなかった。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • しかもその墓地は人食い沼のほとりにあり、多々羅放庵氏の草庵から約百メートルほどの距離であった。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • この佑之は天明から寛政と年号を改める前後に急死しているが、おそらくこれは周囲から一服盛られたのであろうと多々羅放庵氏はいっている。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • まえにもいったとおり、もしこのとき磯川警部がこの村へきていなかったら、金田一耕助がいかにやっきになったところで、多々羅放庵さんのこの事件は、たんなる世捨て人の失踪事件として、かるく世間から葬り去られたにちがいない。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • あとにして思えば、グラマー・ガールの大空ゆかりが故郷に錦をかざったことと、多々羅放庵さんのこの一件とのあいだには、密接にしてかつ重大な因果関係がよこたわっていたのである。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • 亀の湯に滞在した耕助は、リカの息子の歌名雄、リカの娘・里子、村の有力者・仁礼嘉平、庄屋の一族の末裔・多々羅放庵らと顔を合わせる。
  • さて、鬼首村の手毬唄はこの伊東佑之の非行を唄ったものだから、したがって手毬唄の各節の末尾についている「返された、返された」と、いうリフレーンは、ほんとうは「殺された、殺された」と、いう言葉の繰り返しを意味しているというのが多々羅放庵氏の意見であった。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用
  • 多々羅放庵さんだろう。 横溝正史『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』より引用