外角低め
57 の例文
(0.02 秒)
-
このため、重要な試合では点を取られない所を評価されて先発を任されることが多かった。外角低めの球をベースにしながら、それを活かすためにも内角を有効に使う事を重視していた。内角への投球はコースが甘くなると長打になりやすいため勇気とコントロールが必要だが、外角だけでは踏み込んで打たれるか四球による自滅に繋がると考えていた。
...
-
外角低めを中心にリードする事を基本に投手を導いている。現役後期は、二軍では若手捕手の育成目的もあり主に左翼手を務めることも多かった。
...
-
このときから「内角のサインのたび、フラッシュバックするんです」「正直、内角にサインが出たときは目をつぶって投げていました」と内角への投球が苦手になっていたことを、現役引退決断後に明かしている。このことから投球内容が外角中心となっていたが、逆にその中で、外角低めへの直球が武器へと成長していった。顔がカピバラによく似ているため、多くのファンからカピバラと呼ばれている。
...
-
ミッシェルは落ち着きを取り戻したようだ。ツー・スリーまでいったが、最後は、また外角低めを振らせて三振に取った。「彼は大物になりますよ」後ろの席から声が発せられた。
...
-
祈るような気持ちで投球を続けた。外角低めいっぱいを狙った球が、ことごとく内側にずれていた。下半身が定まらない。
...
-
-
とにかく外角低めにビシビシと決まる直球に全然手が出なかった。
-
しかし、この過酷な練習のおかげで、一軍に昇格した頃には目を瞑っていても外角低め・内角低めに思うままに投げられるようになっていたという。入団3年目の8月1日の近鉄戦に完封でプロ初勝利を飾ると、終幕までに5勝を挙げて頭角を現す。
...
-
ここで熊本工唯一の1年生である澤村が打席に立つ。松山商の捕手・石丸は外角低めのスライダーでボールになる球を要求するも、新田は首を振った。それを見た監督の澤田や右翼を守っていた渡部は直球で勝負するつもりなのだと思っていたが、当の新田はスライダーのコントロールが効かなくなっていたことから、ボールにするためには直球しかないと判断したのである。
...
-
限りで引退した。右の本格派で外角低めの速球に威力があり、この球でカウントを有利にした後、切れの鋭いシュートで勝負した。また大きなカーブやシンカー、ナックルも武器であった。
...
-
落ち着け、ミッシェル、落ち着くんだ。二番バッターにはツー・スリーまでいったが、外角低めのストレートを空振りさせた。バツグンにキレのいい速球だった。
...
-
シーズンに入ると、外角低めの変化球をことごとく空振りして三振を量産した。三振率は三振の多かったラルフ・ブライアントを大きく上回って4割に迫り、「2億7000万円の大型扇風機」と揶揄された。
...
-
追いこまれたところへ外角低めがきて、バットの先っちょを当てるとファーストゴロになった。一塁手がきれいに抜かれる。
...
-
夏の甲子園大会の始球式では1997年の第79回全国高等学校野球選手権大会までは文部大臣が投手役を務めることが多かった。旧制中学時代野球部に所属していた愛知揆一が文部大臣時代に行った始球式では、外角低めにストライクとなる球を投げた。また第85回全国高等学校野球選手権大会で小泉純一郎が高校野球大会史上初となる現職首相による始球式を行い、ど真ん中へのストライクを投じた。
...
-
帽子をとり、ゆっくりと汗をぬぐった。一球目、二球目と星野は、外角低めに速球を投げ込んだ。長島がインハイの球を待っているのがわかっていた。
...
-
特に松坂大輔や斉藤和巳などの大物投手に強いため「ビッグバン打線」の5番打者を任されるようになり、右翼手の定位置を確保した。また、右方向へのバッティングも多く、普通の選手なら絶対に手を出さないような外角低めのスライダーを、右足を引きつつ腰砕けの状態で左手1本で外野手の前に運ぶこともしばしばあった。
...
-
ヤクルト時代の2015年には、藤浪晋太郎から、一軍公式戦で7打数5安打を記録した。藤浪自身も、対戦の機会が少ない割に外角低めのベストボールを左中間と右中間に運ばれたことを理由に、「自分の中ではデニングが最強」と評価している。その一方で、ヤクルト時代の一軍監督で外野手出身の真中満は、外野守備中のフライの捕球や走塁での状況判断を課題に挙げていた。
...
-
-
眼鏡をかけた、知性的な風貌とは裏腹に性格は積極的で、ファイト溢れるプレーが身上。「変化球なんか投げれるかい」と振りの早い投球フォームから繰り出すストレート一本で勝負したが、故障してからはアウトドロップと呼ばれた外角低めにコントロールされた鋭いカーブを交えた投球に移行した。激しいプレーが多く生傷が絶えなかったが、「猛虎魂」の見本のような選手で骨折なんかへっちゃらだと言われた。
...
-
二アウトフルベース、カウントはツー・スリー。キャッチャーは外角低めいっぱいのスライダーを要求する。ボール一つ外れれば、すべては終わる。
...
-
外角低めにズバーンと投げて、審判が『ストライク』と言うでしょ。そうなると、『次はこれでどうだ』って、ひとつずつ外にはずしていくの。
...
-
最初の打者ジョン・バックにメジャー史上7人目となる初球被本塁打を記録。この打席では、これまでの野球人生で『困ったら外角低めに投げろ』という投球術が野球のセオリーと言われてきたため、このセオリーがメジャーでは下位打者にすらまったく通用しなかったことに強いショックを受けたという。この被弾から岡島は短期間でカットボールを習得する。
...
-
右足に体重を残す打撃フォームを特徴とする。配球の読みがうまく、インコースに強さをみせるが、2012年は外角低めを全く打てなかった。一度調子を落とすと、復調するまでが長い。
...
-
「外角低めにファーストボールを集める」「8割の力で投げ、球数を多く」を信条に、数多くの選手を育成・復活させてきた。
-
西鉄への移籍については、米川が西鉄に強かったために他チームに取られてはまずいとの、三原脩監督の意向があったともされる。西鉄では阪急から移籍してきた阿部八郎と共にワンポイントリリーフとして活躍が期待されたが、夏頃から外角低めのスライダーが曲がらずに甘く入るようになる。結局、シーズンでも僅か1勝に終わり、同年限りで現役を引退。
...
-
翌日の巨人戦でも代打本塁打を放ち、長打力をみせつけた。しかし、外角低めの変化球への弱さや引っ張り一辺倒の打撃を見抜かれると、打率が1割台に落ち込むなど日本の投手への適応に苦労した。その後、徐々に日本の野球への適応性を伸ばし始めたが、三振の多さは解消されず、シーズン途中加入ながらリーグワースト5位となる114三振を喫し、守備でも11失策という有様だった。
...
-
巨人のON砲相手に臆せずして頭脳をフル回転し、外角低めのストレートで圧巻の三振に仕留めた。後々には巨人戦に限っては苦手意識に陥り、ローテーションを飛ばされるようになるが、広島で池田の次にこの記録を達成した新人投手は58年後の、明大の後輩である森下暢仁であった。
...
-
しかし、スタンカ-野村のバッテリーは次の宮本敏雄を2-1と追い込む。そして次の球が外角低めに決まり、ゲームセットかと思った野村が腰を浮かせたところ、球審・円城寺満はボールの判定。スタンカ、野村のバッテリーが激昂し、南海の内野手らも円城寺に近寄り不満をあらわにし、鶴岡監督は抗議に出るが、当然判定が変わるわけもなく、次の投球を宮本が適時打として2者生還。
...
-
インディアンス打線はこの日、ここまでエストラーダのチェンジアップ22球中13球に手を出し、空振りを5度喫する一方で安打を1本も打てていなかった。捕手マーティンはチェンジアップを外角低めのストライクゾーンから外れた位置に要求し、エストラーダはバウンドさせるつもりで球を投じた。しかしこの球が狙いに反して内角低めに行き、リンドーアが逃さずに捉えると、打球は右中間スタンドへ飛び込む2点本塁打となった。
...
-
パ・リーグは指名打者制のため息を抜ける場面がなく、またいてまえ打線に象徴されるような思い切りの良いバッティングが多く失投が長打に繋がりやすかったという。特にラルフ・ブライアントのスイングの速さは衝撃を受けるほどで、外角低めの投球が強烈なピッチャーライナーになるほどだった。また、自分の世界に浸っていて待ちが読めない山本和範や、良い場面で打たれる事の多かった藤本博史が印象に残ったという。
...