外宮
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名詞
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さらに、内宮の祭神である天照大神は、内宮の御饌都神である豊受大御神に奉る。これを根拠として、神宮の祭典は原則として「外宮先祭」になっている。神宮では神嘗祭が最も重要な祭祀とされ、神嘗祭のときに御装束・祭器具を一新する。
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度会国都御神の社と称していたが、現在は『延喜式神名帳』に記載されている名称に従い、度会国御神社と表記される。創建年代は不詳であるが、外宮の鎮座以前よりあったと考えられている。櫻井勝之進は度会国御神社に関連して、以下のように記述している。
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豊宇賀能売神といふのは外宮の神様と、非常に性格の通つた所のある神です。つまり、神名が似てゐるのは、神の性質が近似してゐるのだし、それと同時に名前が一寸違つてゐても性格の上に細かな相違のあることを示してゐるのだ。
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さうして神道に關する著述も外宮の神主、度會家行などから起つたのでありまして、低い地位に居つた外宮の神主の方が智慧も早く發達して、外部に對し信者を得るといふことを考へました。それで御師も外宮の方が盛んであつたといふことであります。兎に角日本國民一般の參拜を認めてそれに依て維持しようといふことになりました、御師は何國何村は自分の持分といふ風に分けて得意を持つて居りました。
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また、境内にある儀式殿も外宮の四丈殿を下賜されたものである。正面の大鳥居も外宮から下賜されたものであると伝えられるが資料が確認されていない。
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こうしたことからみて、私も外宮の豊受大神宮はもと丹波あたりから移動して来た新羅・加耶系渡来氏族が伊勢に定着して、高倉山の古墳とともにいつき祭ったものではなかったかと思う。そのことは、外宮の代々の禰宜が度会氏であったということからもわかる。度会=渡来では?
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御白石を敷き詰める意味として、白が清浄感を表す色であると同時に、白い石を清浄な河原へ行って集めることで、行事に神聖性を持たせているのではないだろうか、と櫻井治男は述べている。お白石持は、内宮・外宮の新しい正殿がほぼ完成した時点で挙行される。第60回は、内宮のお白石持が1973年8月18日から8月23日、外宮のお白石持が同年8月25日から8月30日までの間に行われた。
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また、境内にある儀式殿も外宮の四丈殿を下賜されたものである。正面の大鳥居も外宮から下賜されたものであると伝えられるが資料が確認されていない。
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日本では、道院紅卍字会の主宰神「至聖先天老祖」は、道院と大本の提携により、出口王仁三郎が「至聖先天老祖を大国常立之大神、天之御中主之大神である」と審神した結果、大本皇大神=至聖先天老祖となった。他に、北極の神、北極神界の主催神、伊勢外宮の神などと称されている。世界紅卍字會救済隊規定第一條 本會は施行細則第二十六條の規定に依り救済隊を組織し災民を賑済し傷亡者の救護を目的とす。
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外殿は基本的に朝議の間、内殿は王が執務を行う間と定められている。同時にまた、内殿は外宮の終わりであり、外殿は内宮の終わりだった。
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後に、女王ヒミコは伊勢神宮内宮のアマテラスオオミカミとして祀られた。女王トヨは伊勢神宮外宮のトヨウケノオオミカミとして祀られたわけだ。伊勢神宮が内宮と外宮の二つに別れている理由は、邪馬台国の二人の女王を祀るためだったのである。
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神社由緒では豊受信仰の起源は当神社であると主張する。一説によると、外宮な内宮の天照大神よりも上位の神とされている。比沼麻奈為神社という名称については、京丹後市に伝わる丹後七姫の1人である羽衣天女と関係性があると思われる諸説が残されている。
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その後、旧制神宮皇學館大學の関係者らによって神宮皇學館大學再興期成会が結成され、現在の大学は1962年に私立大学として、いわば「再興」されたものである。神宮の外宮と内宮のほぼ中間の倉田山に、大学本部校地が所在する。
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複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣は豊受大神宮、皇大神宮の順である。
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大物忌神は、倉稲魂命・豊受大神・大忌神・広瀬神などと同神とされる。鳥海山大物忌神社の社伝では神宮外宮の豊受大神と同神としている。鳥海月山両所宮では鳥海山の神として倉稲魂命を祀っている。
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そのかわりここでは、われわれはただ漫然とそれをみて歩くのではなく、その伊勢神宮の成立のことについて考えてみることにしたい。まず、私たちがそれからみることになった外宮である。これはさきにもちょっとふれたように、正式には豊受大神宮となっている。
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天照大神をまつる神明神社としては、岩村田の町中にもう1社存在する。町内に2社存在するのは、内宮と外宮をそれぞれ勧進したからであるという。境内社「天神宮」については稲荷町天神堂地籍にあった仏堂の「天神堂」が明治初め頃に神式の「天神宮」としてまつられるようになったものである。
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