外務省顧問

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  • これに日本から派遣された新垣恒政外務省顧問医の案が加味され決定された。
  • 外務省顧問の資格で対東欧経済使節団長として国際経済関係でも活躍する。
  • 続く第2次岸内閣改造内閣でも官房副長官を務めたが、1963年の総選挙で落選し、外務省顧問に就任する。
  • 松岡はこの時期暴漢に襲われることもあり、外務省顧問を務めていた斎藤良衛は陸軍や右翼の指示によるものであったと考えている。
  • つけ加えれば、東條がこの原稿を書いているとき、外務省顧問来栖三郎の訪問を受けている。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。
  • また、1880年5月以降は横浜のアメリカ副領事であったヘンリー・デニソンが外務省顧問に採用された。
  • 外相退任後は外務省顧問や国際大学初代学長を務めた。
  • 白鳥と共に外務省顧問となった斎藤良衛は『欺かれた歴史』のなかで松岡人事の目的について次のように述べている。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • 松岡外相や斎藤良衛外務省顧問は、しかし、四月十六日案との比較において米側六月二十一日案の悪化と後退をとがめたのである。 五味川純平『御前会議』より引用
  • とは、米国案の検討を命じられた外務省顧問斎藤良衛の結論だが、さらにいえば、米国案は日本が「満州事変以前」にもどることを求め、それ以外には最小限の日米友好関係も不可能だ、と明言しているのである。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • ついで、二十八日には、親枢軸派として著名な前駐伊大使白鳥敏夫を外務省顧問に起用するなど、外務省の反英米・親枢軸の旗色を鮮明にしていたから、米国は対日制裁に着手する時機を測っていたものと考えられる。 五味川純平『御前会議』より引用
  • と、外務省顧問斎藤良衛は連絡懇談会で指摘したが、松岡外相も、このような非礼な国際的事例は歴史上にも珍しいことだ、と憤激した。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 近衛や陸軍は白鳥を次官にするよう要望したが、松岡は大橋忠一を次官とし、白鳥には外務省顧問の地位を与えた。
  • 榎本外相は、「条約改正断案」において、青木の改正案をイギリスが大部分承諾した原因としてロシアのシベリア鉄道起工がイギリスの東アジアにおける特権を奪う利器になりうることに求めており、外務省顧問のデニソンも榎本の意見を支持してイギリスとの条約改正の好機であると進言した。
  • ニャン氏は、ヘン・サムリン政権樹立と同時に、ポト前政権の自国民大量粛清政策によって人材が枯渇したプノンペンに、新政権の外務省顧問として派遣された。 近藤絃一『したたかな敗者たち』より引用
  • 斎藤良衛によれば、及川をかつぎ出したのは、海軍の若手将校であり、それをバックアップしたのが、右寄りの白鳥敏夫外務省顧問であったという。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • 外務省通商局長を最後に退官し、南満州鉄道理事、同最高顧問、外務省顧問を務める。
  • げんに氏は外務省顧問であった。 松本清張『過ぎゆく日暦』より引用
  • 松岡外相が米国案にかんする見解をひろうしたのは、七月十日の大本営政府連絡懇談会であったが、外相は、外務省顧問斎藤良衛に検討の結果を報告させたあと、きっぱりと明言した。 児島襄『開戦前夜』より引用
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