塩田良三

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  • 長崎から帰った塩田良三りょうさんとの間にも、定めて聯絡れんらくが附いていたことであろう。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 此日榛軒門人の一人であつた塩田良三が躋寿館に於て医学出精の賞詞を受けた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 優善の友塩田良三りょうさん安積艮斎あさかごんさいの塾に入れられていたが、或日師の金百両をふところにして長崎にはしった。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 塩田良三もまた陸を愛する一人いちにんで、陸が手習をする時、手をって書かせなどした。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 書中には塩田良三の作も収められてゐた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 松田氏の語る所に従へば、塩田良三は師のために大坂の親戚に説いて金三百両を借り、僅に費用を辨ずることを得たと云ふことである。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • わたくしは前に塩田良三りやうさんの生れたことを記したから、此に柏軒門下にして共に現存してゐる松田道夫だうふの此年に生れたことを併記して置く。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 優善の夥伴なかまになっていた塩田良三りょうさんは、父の勘当をこうむって、抽斎の家の食客しょっかくとなった。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 塩田良三りやうさんは既にまさしと改称して、工部省に仕へてゐた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • この頃さきに浦和県の官吏となった塩田良三りょうさんが、権大属ごんだいさかんのぼって聴訟係ていしょうがかりをしていたが、優善を県令にすすめた。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 優善の友塩田良三りょうさんはこの年浦和うらわ県の官吏になった。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 塩田良三は蘭門の楊庵が子、今のしんさんである。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 大抵医官は一門人若くは一僮僕を有するに過ぎなかつたのに、独り先生の下には塩田良三とわたくしとがゐて、又若党一人、轎丁けうてい四人がゐた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • それは当時の塩田良三りやうさんで、即今の塩田しんさんである。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 柏軒の門人塩田良三は温言を以て慰めたが、容易たやすく聴かなかつた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • わたくしは安政丁巳に柏軒がお玉が池の新居を営んだことを記して、塩田良三りやうさんの途に工費を失つた話に及んだ。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 抽斎の森枳園きえんにおける、塩田良三りょうさんにおける、妻岡西氏における、その人を待つこと寛宏かんこうなるを見るに足る。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 柏軒が此年甲寅に首唱して、矢島優善やすよし、塩田良三りやうさんの二人が計画し、小野令図れいとの家の祝のために催す茶番の事は、塩田氏の語る所が猶残つてゐる。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 次は塩田良三である。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • わたくしは文久壬戌七月七日に柏軒の長女洲が流行の麻疹に罹つて死んだことを記し、とぶらひを送つて帰つた塩田良三が紋服を脱ぎふるに及ばずして僵れ臥したと云つた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
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