塩田城

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  • ここには塩田城の復元想像図も展示されている。
  • 岡城の南東約5kmに武田氏が岡城建設前まで重要拠点として使用していた塩田城があるが、永禄年間初期から文献に登場しなくなり岡城の名が見えてくるので、築城時期はその頃と思われる。
  • 塩田城は、信濃国小県郡にあった日本の城である。
  • 一旦は兵を塩田城に向け直した景虎だったが、塩田城に籠もった晴信が決戦を避けたため、景虎は一定の戦果を挙げたとして9月20日に越後国へ引き揚げた。
  • 天文22年、憲重は息子を連れて信濃国塩田城にいた武田晴信に出仕し、間もなく息子は元服して「信」の字を与えられ「信真」と称した。
  • これに対し晴信は本陣を塩田城に置き決戦を避けたため、上洛の予定があった景虎は深追いをせず、9月に越後へ引き上げた。
  • 憲重はこうした状況のなかで後北条氏に従属していたが、天文18年頃には甲斐国の武田氏に帰属先を変えたとされ、『高白斎記』に拠れば天文22年には嫡子信実を伴い信濃塩田城に在陣する武田晴信と対面している。
  • 晴信は市河氏への救援に塩田城の原与左衛門尉の足軽衆を派遣させているが間に合わず、塩田城の飯富虎昌に対して今後は市河氏の緊急時に際しては自身の命を待たずに派兵することを命じている。
  • 独鈷山の山麓にあり、塩田城の鬼門に位置する。
  • 塩田城主要部への入り口に「塩田城跡」の石碑がある。
  • 天文12年から塩田城主であった遠戚である小寺福職の補佐役として塩田城へ在城し、天文14年父から御着城主を譲られる。
  • 信玄が長窪城に着陣し、東・北信濃を攻略したのは、天文17年の砥石城攻略・天文22年和田城、高鳥屋城、塩田城の攻略と3回あったようである。