城主織田

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  • 尾張下四郡の守護代「織田大和守家」清洲城主織田敏定の弟といわれる。
  • 初め、尾張の犬山城主織田信清に仕えて岩倉織田氏と交戦している。
  • そうして、ちょうど、その頃、話のあった尾張清洲きよすの城主織田信長の妹お市姫を妻に迎えた。 桑田忠親『戦国史疑』より引用
  • 以後も信長に仕えており、永禄4年6月に発生した犬山城主織田信清の反乱を鎮圧する戦いにも従軍している。
  • 享禄5年、勝幡城主織田信秀の奇計によって兵を城に侵入され、城を落とされた。
  • 翌日の朝、山頂の天守閣で岐阜城主織田秀信は毎日見なれた長良川を見て、奇妙な思いに包まれていた。 茶屋二郎『遠く永い夢(下)-関ヶ原 戦勢逆転の真実-』より引用
  • やや下流に、柳の巨樹がある、その下で川狩りをしていたのが、守山城主織田孫十郎信次と、その家来数人だった。 司馬遼太郎『国盗り物語』より引用
  • 信長の嫡男で美濃岐阜城の城主織田信忠は同時に京都室町薬師寺町の妙覚寺に入った。
  • 岩倉織田氏の内紛を見た信長は信賢との戦いに備え、父織田信秀死後独立勢力化していた犬山城主織田信清に対し、自分の姉・犬山殿を嫁がせ味方に組み入れた。
  • 清洲三奉行の補佐を受けるも、やがて、三奉行家の一つで家臣筋の「織田弾正忠家」当主である勝幡城主織田信定が台頭するようになる。
  • また清洲の守護代「織田大和守家」当主の織田敏定の配下として、清洲宗論の際に奉行人の一人を務めた織田良縁や小田井城主織田常寛との関係は不明であるが、良縁は父で常寛とは同一人物と推定される。
  • 更に異母兄に当る織田信広や、岩倉城主織田信安等の叛乱があったが、みな信長に平定せられた。 菊池寛『桶狭間合戦』より引用
  • その後犬山城主織田信清の弟・広良が城主となるが、永禄5年に広良が美濃斎藤氏との軽海の戦いで戦死、信清の家臣である和田新助が城主となった。
  • 神戸城主織田信孝の祈願寺とされ、寺領660石を受領し栄えたが、江戸時代の大地震により焼失している。
  • 慶長3年の豊臣秀吉死後は、岐阜城主織田秀信の帷幕にあった。
  • 大和柳本城主織田信及、崇神・景行二聖陵修繕の許しを請ふ。 折口信夫『橘曙覧評伝』より引用
  • 同年6月尾張古渡城主織田信秀が刈谷城の水野忠政を伴って3000の兵を率いて安祥城を攻撃する。
  • 以後は楽田織田氏の居城となったが、織田寛貞の代に、永禄初年に尾張で最大勢力となった織田家末流の織田信長についた犬山城主織田信清に攻略され、信清の出城となった。
  • 曽祖父は加賀国富樫郷出身で、犬山城主織田白厳に仕え初代松倉城を築城した富樫頼定である。
  • 天文18年、今川義元に従属していた松平氏の下で織田信秀の三河国拠点である安祥城を攻めた際には、城主織田信広を捕らえる活躍を見せた。
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城主織田 の使われ方