城主清水宗治

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  • しかし毛利三家の総意を問う前に、まず高松城主清水宗治の胸の内を聞かなければならなかった。 茶屋二郎『遠く永い夢(下)-関ヶ原 戦勢逆転の真実-』より引用
  • しかし、秀吉はこれを拒否して「五国割譲と城主清水宗治の切腹」を要求したため、交渉はいったん物別れに終わった。
  • 天正10年、織田信長の命令により中国攻めの方面軍を率いていた羽柴秀吉が備中に侵攻し、備中国高松城が包囲された際、城主清水宗治とともに副将として元行も籠城して抗戦した。
  • 船上には白絹を纏った城主清水宗治を中心に兄の月清入道、介錯役の毛利家援将国府市正らが乗っていた。 茶屋二郎『遠く永い夢(下)-関ヶ原 戦勢逆転の真実-』より引用
  • 天正10年高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男・長九朗がかねてより信奉していた道通宮の使いの白蛇に導かれて浅口郡西大島御滝山に逃れた。
  • 伊豆守は、羽柴秀吉が備中高松城を水攻めの持久戦にもち込んだ挙句、城主清水宗治一人を切腹させて陥落せしめた故事などを参考として、このような策をえらんでみたのであろう。 柴田錬三郎『嗚呼 江戸城(下)』より引用
  • 水攻めの中に主君である織田信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が起き、その報を聞いた秀吉はただちに毛利方と和睦を結んで、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を京のある山城国へ返した。
  • と、不調は承知ながら、秀吉は蜂須賀彦右衛門と黒田官兵衛とを使いにたてて、高松城の城主清水宗治に、降伏をすすめた。 吉川英治『新書太閤記(六)』より引用
  • この報を得た秀吉は、信長の死を秘匿しつつ、急遽、高松城主清水宗治の切腹と毛利領国のうち備中・美作・伯耆の3か国の割譲を条件に、毛利氏とのあいだで講和を結び、兵を明智光秀追討に向けるために撤収した。