城主格

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  • 文化13年、直堯は城主格昇進願を本家の佐賀藩から江戸幕府に対して嘆願するように求めた。 ...
  • この場合、無城大名は城主格大名へ昇格する。 ...
  • 奏者番就任や城主格昇格は、阿波国・淡路25万7千石の国守である蜂須賀家から正室を迎えたことなどに起因するとも考えられる。 ...
  • 無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城に転換することは許されず、実際には城門の構築を許されるのみであり、領知の居地をあらわす用語も、城主大名の居城ではなく、無城大名の在所のままであった。
  • 主君が城主格や、無城のときは、留守居たる在所家老は存在したが、城代家老の名称は用いなかった。 ...
  • 大名には格式があって、国主・准国主・城主・城主格・領主とわかれていて、江戸城内における待遇がちがうのだ。 ...
  • また、長府藩の家格は無城に落とされるが、後年に旧来の5万石に復して家格も城主格とされた。 ...
  • 毛利家同様、支藩統制上の思惑もあり、 積極的に行なったとされ、三支藩の城主格昇進も妨害して騒動も起きている。 ...
  • 寛文7年に城を大改修し、郡上八幡藩遠藤家は「城主格」から正式な「城主」として遇されることとなった。 ...
  • 寛永10年3月23日に松平信綱らと共に六人衆となると、その後に相模・常陸・甲斐にそれぞれ5千石を得て、2万5千石で城主格となる。 ...
  • 経幹の死は長州藩主・毛利敬親の命により秘匿されたため、新政府は経幹を存命と見なして慶応4年3月13日に経幹を城主格の諸侯と認めた。 ...
  • その藩政における尽力を幕府からも認められて、天保7年4月、萩藩主・毛利斉元の内願を入れて城主格に任じられ、所領も4万石に加増された。 ...
  • 外様大名ながら、幕府の儀式・典礼をつかさどる要職である奏者番に任じられ、天保10年には城主格に昇格する。 ...
  • 正敦は文政8年4月に城主格に任じられたが、翌年10月10日に再び佐野へ移封となったため、堅田藩は廃藩となった。 ...
  • 第3代藩主・水野忠韶も奏者番・大番頭を経て文化5年11月に若年寄に就任、文政8年には城主格となった。 ...
  • 大坂加番や奏者番を勤め、天明元年9月には西の丸若年寄、文化元年8月には城主格となり、参勤交代を行うことが義務化された。 ...
  • thumb|遠藤慶隆の墓徳川家康が江戸幕府を開くと、郡上藩が成立し、慶隆はその初代藩主となって、次の慶利の代まで城主格の待遇を受けた。 ...
  • 元禄6年には城主格となり、元禄7年8月21日には弟・顕寛が分家し旗本寄合席に列した。 ...
  • 寛永21年5月、直時の子・堀直吉の時代に領地替えと城主格への昇進が行なわれて、安田陣屋から村松城に移したことから、正式な村松藩が始まった。 ...
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