城主格

57 の用例 (0.00 秒)
  • 嘉永5年12月27日、大和柳本藩主・織田信陽とともに家格を城主格に上げられる。
  • その功績により安政5年7月11日には城主格に昇進した。
  • また、長府藩の家格は無城に落とされるが、後年に旧来の5万石に復して家格も城主格とされた。
  • 城主格大名とは国許の屋敷が陣屋である大名のうち、城主に準ずる待遇をうける大名をいった。
  • 幕末期、正縄の代に城主格になったが、程なく明治維新を迎え、城郭は完成を見ることなく廃止された。
  • 第9代藩主・鍋島直堯は、文化13年に肥前藩から独立して城主格となることを望んだが、肥前藩より却下された。
  • 忠眦は若年寄を務めた功績により文久元年9月に1080石を加増され、翌年6月には城主格を与えられるに至った。
  • また、5000石を加増されて城主格になった。
  • 無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城に転換することは許されず、実際には城門の構築を許されるのみであり、領知の居地をあらわす用語も、城主大名の居城ではなく、無城大名の在所のままであった。
  • なお、藩庁は陣屋であるが、家格は城主格大名であった。
  • 幕末の万延元年には城主格に格上げされている。
  • 幕末には城主格になっている。
  • 部屋住でありながら叙任されたのは、父・隆喜の城主格昇進にともなう措置であった。
  • 第9代藩主・堀直央の時代である嘉永3年2月に城主格が与えられ、村松陣屋は城に改修されることとなった。
  • 小名という言葉自体は、すでに『吾妻鑑』にも登場しており、戦国時代には御家人のうちで一国を運営するだけの力はない城主格の者を指したり、石高の低い武家のことを指していた。
  • 嘉永5年12月27日に無城から城主格に昇進した。
  • 元禄6年には城主格となり、元禄7年8月21日には弟の顕寛が旗本寄合席に列した。
  • 寛延元年11月、勝清は2万石に加増されて城主格となる。
  • 文化13年、直堯は城主格昇進願を本家の佐賀藩から江戸幕府に対して嘆願するように求めた。
  • 主君が城主格や、無城のときは、留守居たる在所家老は存在したが、城代家老の名称は用いなかった。
  • 次へ »