城主格

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  • 与板藩の藩庁で後に与板藩が城主格となったため与板城とも呼ばれる。
  • 無城大名ではあるが城主格が与えられていた。
  • 嘉永3年九代藩主の堀直央が城主格拝命したことにより大改築が行われた。
  • 正室が蜂須賀氏の出であったことから、天保10年に城主格に任じられた。
  • 城主格の大名であったことから、この陣屋は鶴牧城と名づけられた。
  • 柳間詰で5万石以上の大名は大抵、城主か城主格に任じられていた。
  • 経幹は生存しているものとして城主格兼正式な藩主として認められ、岩国藩初代藩主となった。
  • 天保12年に譜代衆取締役となり、功を挙げたことから城主格を与えられた。
  • その後、10代・井伊直朗が若年寄となったため、城主格に昇格した。
  • 無城大名が城主格大名へ昇格した場合、国許の陣屋を城に転換することは許されず、実際には城門の構築を許されるのみであった。
  • そして嘉永5年12月27日には信長以来の名族ということもあって、城主格に任じられた。
  • 若年寄を3度も歴任した功績を認められ、城主格に任じられた。
  • 嘉永3年8代・直寛は幕府公役の勤を評され城主格となっている。
  • 天明3年5月、父・重就による幕府への嘆願で城主格となった。
  • しかし城主格の大名でありながら、築城を許可されず、陣屋と城下町を建設するに留まった。
  • この場合、無城大名は城主格大名へ昇格する。
  • 明和4年には家治の命によって神田橋御門内に屋敷を与えられ、築城を許可されて城主格となった。
  • そして寛文7年に城を大改修したことから、遠藤氏は城主格から正式な城主として遇されることとなった。
  • 嘉永3年には城主格が与えられ、村松陣屋は城に改修された。
  • 文化元年、井伊直朗の時に城主格となり、その後築城を始め、文政6年に完成した。
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