城主松平

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  • 江戸時代、城主松平定信が候補地を比定して、現在公園として整備されている辺りを関跡としたのが有力とされている。
  • 二十二日、ついに若松城主松平容保は無条件降伏し、城を開け渡した。 南條範夫『山岡鉄舟(二)』より引用
  • しかし、この時に城主松平長家が戦死している。
  • ただお上と申してもわかるまいが雲州松江の城主松平出羽守さまというご身分尊いお大名さまである。 今村信雄編『古典落語(上)』より引用
  • なぜか彼は、その岡崎の城主松平元康という人に、人いちばい関心をもっていた。 吉川英治『新書太閤記(二)』より引用
  • それが偶然にも土佐国高知の城主松平土佐守豊資とよすけの家であった。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 忠直御乱気の始めから、大多喜城主松平備前守の綱吉へ献上までの七八十年の間、この初花は一体どこに姿をくらましてゐたのであらうか。 唐木順三『千利休』より引用
  • ちなみに最後の吉田城主松平信古は大河内氏であるが、長沢松平家の養子として松平氏を名乗る家である。
  • 別の古文書によれば、天文9年に織田家が安祥城を攻撃した際に、城主松平広忠に味方してよく戦った松平忠次に褒賞として与えられる。
  • 銀之助ぎんのすけ様ととなえていた若者で、穉くて美作国西北条郡津山みまさかのくににしほうじょうごおりつやまの城主松平家まつだいらけ壻入むこいりした人であったそうである。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 若くして徳川家康の近習として仕え、慶長8年、家康の命により家康の六男の待城城主松平忠輝の家臣となる。
  • 強右衛門の子亀千代は八歳で家督を継ぎ、奥平貞昌に仕えて百石を貰ったが、長じてから武勲を樹てて出世し、後大和郡山十二万石の城主松平忠明に仕えるようになってからは千二百石取りとなり城代までつとめるようになった。 新田次郎『武田勝頼(一)』より引用
  • 上野国こうずけのくに高崎の城主松平右京亮輝聡うきょうのすけてるとしの家来で、本郷弓町ゆみちょうに住んでいた。 森鴎外『渋江抽斎』より引用
  • 横須賀6代城主松平忠次の命により樹木ヶ谷より現在の西大谷入口に寺領を賜って移築された。
  • 信濃国筑摩郡松本の城主松平丹波守光行みつゆきの医官になつた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • この地域を拠点としていた岡崎と刈谷は、両勢力いずれかにつかざるを得ず、刈谷の水野は、刈谷の姫於大を和睦のしるしに三州岡崎の城主松平広忠の許へやり、今川方の松平に属した。
  • 松田道夫の父は美濃国恵那郡岩村の城主松平能登守乗薀のりもりの医官で、江戸定府になつてゐた。 森鴎外『伊沢蘭軒』より引用
  • 当主源太左衛門げんたざえもん正春の父は、武州館林たてばやしの城主松平伊豆守いずのかみの家来だった人で、知恵伊豆とうたわれた主君に常々目をかけられていた。 五味康祐『薄桜記』より引用
  • 明暦2年には、4代将軍徳川家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われ、施工には木原義久があたった。
  • 慧端が13歳のとき、城主松平忠倶に講義をするために登城してきた禅僧に「子ニ個ノ観世音菩薩アリ」と告げられたことをきっかけに自己探求をはじめ、16歳のときに悟りを得たと伝えられている。
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城主松平 の使われ方