城主別所長治

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  • 三木城の城主別所長治はまだ二十五歳の青年だった。 吉川英治『黒田如水』より引用
  • わけてもこの出迎人の中には、三木城の城主別所長治の叔父にあたる別所賀相よしすけが家中の三宅治忠と共に加わっていた。 吉川英治『黒田如水』より引用
  • 病弱な兄に代わり城主となった林治は本家筋にあたる三木城主別所長治が織田氏に反旗を翻すとこれに従った。
  • 城主別所長治は、弟の友行、一族の治忠とともに割腹して、城を開き、家臣宇野卯右衛門うのうえもんを降使として、秀吉へ一書をもたらし、と、あった。 吉川英治『新書太閤記(六)』より引用
  • この為、信長は羽柴秀吉に軍勢を与えて播磨に侵攻させたが、毛利輝元も寄騎していた宇喜多氏とともに自ら軍勢を率いて播磨まで進出し、同時期に三木城主別所長治が毛利方についたことにより、播磨の戦況は芳しくなくなった。
  • なお、別所重宗の養子吉治は、当初信長に従いながらのちに離反した播磨三木城の城主別所長治の実子だという説がある。
  • 城中数千のもの、もとより城主別所長治と、かたく死をちかい、いさぎよく死ぬべく、斬って出る覚悟をしていた。 吉川英治『新書太閤記(六)』より引用
  • しかし、三木城城主別所長治の裏切りや有岡城城主荒木村重の反乱などに動揺し、毛利方に離反する。
  • 天正元年東播磨三木城主別所長治の後援を受けて、黒田職隆に属する小寺休夢のいる増位山を攻撃する。
  • 赤松氏滅亡後は三木城主別所長治に仕えた。
  • その後4代にわたり存続したが、天正6年7月、4代城主の櫛橋政伊の時、羽柴秀吉に反旗を翻した三木城主別所長治に呼応した。
  • 天正6年2月、三木城主別所長治が本願寺・毛利の側に寝返り、同年10月には荒木村重も本願寺法主顕如と盟約を結んで信長に離反した。

城主別所長治 の使われ方