坂田金時
26 の用例
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此神遊びを舞ふ巫女が、足柄の山姥です。
神を育てるものとの信仰が残つて、坂田金時の母だとされてゐます。
其に、此山姥の舞は、代表的の「山舞」とせられて、東遊びと共に、畿内の大社にも行はれました。
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折口信夫『翁の発生』より引用
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奈良時代に満願寺が創建され、平安時代中期以降は清和源氏によって栄えた。
金太郎として知られる坂田金時や美女丸、幸寿丸、藤原仲光の墓がある。
川西市ハイキングコースが川西市湯山台を通り、多田神社方面へ至っている。
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ただし、温泉街の撮影は近隣の別所温泉で行われた。
開湯は飛鳥時代とも奈良時代とも言われ、当地で坂田金時が生まれたとの伝説も残る。
島崎藤村は当地の「ますや旅館」に逗留し、「千曲川のスケッチ」の一節「山の温泉」を着想した。
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また、鰹節を使うやり方もある。
金平という名前は金太郎としても知られる坂田金時の息子・金平から名付けられたという。
江戸時代はゴボウは精の付く食べ物と考えられていたため、強力の伝説で知られていた金平に仮託したもの。
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というのは、一つには彼女が坂田金時を女にしたような、あまりにもたくましすぎる鼻と顎と首と腕の持主だったからであり、第二には、これがもっと重要な点であるが、彼女が彼に好感以上のものを抱きはじめている気配があったからである。
彼はまず間接的なイヤがらせを計画した。
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安部公房『飢餓同盟』より引用
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それでなくともこの森を単独で往行した人物は古来から記録に残された僅少の名前のみである。
それにはこの森を深夜に独りで踏み越えた豪胆者として坂田金時や新羅三郎の名前が数えられて、今なおその記録を破る冒険者は出現しないと流言されている。
通例は森を避けて、猪鼻から、岡見、御岳、飛龍山、唐松、猿山などという部落づたいに龍巻村へ向うのが順当なのであるが、私は既に塚田村で遠回りをしたばかりでなく驢馬事件のために思わぬ道草を喰ってしまった後であるから是非ともこの森を踏み越えなければ途中で日暮に出遇う怖れがあるのだ。
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牧野信一『ゼーロン』より引用
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批判はもとより、そうでなくても当代に触れるのはご法度であったから、台本は常に古い時代に仮託して上演しなければならなかった。
これが、そのまま錦絵になる状態であったから、坂田金時のような伝説物以外では、歴史画が描かれることは少なかった。
例えば、豊臣秀吉のことを描いても、その残党を刺激し、ついては現政権に関わるとしてご法度になった。
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以上が金時神社に記された金太郎の伝説である。
この「金太郎」「坂田金時」なる人物の存在は、疑わしいともされている。
そもそも金太郎なる名前は、いわゆる幼名としてあり得ず、むしろ成人時の通称の特色を示している。
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天人の造り出したウイルスにより性別が反転してしまったこともある。
名前のモデルは金太郎こと坂田金時だが、「金時」と呼ぶと激怒する。
これはタイトルが恐ろしいことになり、「ジャンプが回収騒ぎになる」からだという。
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金太郎こと坂田金時が、母親である山姥に連れられてこの地に来て眼の傷を癒したと伝えられ、温泉名はこの伝承に由来する。
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そして天延4年3月21日、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となる。
名前も坂田金時と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となる。
なお、他には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が四天王に名を連ねる。
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隈取とは、歌舞伎独特の化粧法のことである。
初代市川團十郎が、坂田金時 の息子である英雄坂田金平役の初舞台で紅と墨を用いて化粧したことが始まりと言われる。
中国古典劇の京劇にも臉譜と呼ばれる独特の隈取があり、両者には色彩によって個性を強調するなど共通点が多い。
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第六天社は金太郎親子が深く信仰しており、母の八重桐が赤いごはんや魚を捧げたりするのを真似て、金太郎はメダカを捕らえてきては生きたまま器に入れ、社前に捧げたといわれている。
滋賀県長浜市と米原市は、昔は坂田郡であり、坂田金時は坂田郡の人であると伝えている。
今も長浜市には足柄神社や芦柄神社が何カ所もあり、子ども相撲が今も連綿と行われている。
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この姿が、顔から急に突き出たイノシシの鼻のように見えるため、かつては猪鼻嶽や猪鼻ヶ嶽と呼ばれていた。
江戸時代になると、坂田金時の故郷が足柄山であるとした「金太郎伝説」ができ、この頃から金時山と呼ばれるようになった。
その後、1900年に童謡「金太郎」がつくられ、広く知れ渡るようになった。
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父親が坂田というのなら、今から坂田金時と名乗るがいい。
楠山正雄『金太郎』より引用
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将門の霊は当時もなお祟ること多く、天神とならんで魂鎮めの祭が坂東の地で密かに挙行されておったと申しますから。
またそうでなくとも、西行の時代はすでに鬼殺しの武者と勇名を馳せた源頼光なく、その臣下で四天王と呼ばれ羅城門の鬼や酒顛童子などあらゆる鬼どもを征伐し続けた坂田金時等もまた過去の人となった時期に当たります。
むろん、陰陽の秘術に通じた土御門の天文博士安倍晴明もすでに亡じておりますから、万が一ここで怨霊たちが蘇ることになれば、それを討ち倒す勇者が見当たりません。
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荒俣宏『帝都物語5』より引用
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討手の坂田金時ら四天王は法師だと思って斬ろうとしたが、驚いた清少納言は前をまくって女である証明を見せて命びろいをしたとある。
「清少納言出開事」の条だ。
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西沢爽『雑学艶学』より引用
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開湯は古く、遅くとも鎌倉時代には眼病に効く湯としてその存在が知られていた。
姥子の名は、金太郎こと坂田金時にまつわる伝説に由来する。
枯れ枝で傷めた金太郎の目を、母親である山姥が箱根権現のお告げに従ってこの湯で洗い、完治させたと伝えられる。
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村長の像ならば村費をもって記念像を作る議が可決されているし、地主ならば彼自らが自らの人徳を後世の村民に遺すための象として、費用を惜まず己れの像を建設して置きたい望みを洩らしている。
またこの地に縁故の深い坂田金時や二宮金次郎の像ならば、神社や学校で恭々しく買上げる手筈になっているではないか!
それをまあ、選りにも選って!
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牧野信一『ゼーロン』より引用
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そこで金太郎は坂田金時と名乗って、頼光の家来になりました。
そして大きくなると、えらいお侍になって、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光といっしょに、頼光の四天王と呼ばれるようになりました。
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楠山正雄『金太郎』より引用