坂田山心中
6 の例文
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昭和七年五月八日に慶大生調所五郎が、湯山八重子という麗人と大磯の坂田山で死んだ。歌謡曲に「天国に結ぶ恋」というのができ、一般には「坂田山心中」といわれている。坂田山の隣の王城山に自宅のある高橋誠一郎さんがいっていた。
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特に東京日日新聞は「純潔の香高く 天国に結ぶ恋」の見出しを掲載した。この「天国に結ぶ恋」は坂田山心中を象徴する名文句となり、事件からまもなくロマンチックに美化された同名の映画や歌が製作公開され人気を博した。より事実に近い映画も作られたが、そちらは人気が出なかった。
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とかくブームになる。明治時代には、藤村操という一高の生徒が華厳の滝で投身自殺を遂げ、その際、「巌頭の感」という有名な遺書を残したために、華厳の滝で投身自殺をするのがブームとなり、坂田山心中の後は坂田山で心中するのがブームとなり、その後の心中のメッカとしては大島三原山があった。ここも仲良しの女学生同士が飛び込み自殺を図り、一人が成功するという事件があってから、われもわれもと飛び込むようになったのである。
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いくらそのようなことはないといっても、我国にだって屍姦はある。イザナギが黄泉の国ヘイザナミをたずねるのも、そのあらわれというし、近くは坂田山心中、江戸時代に、妓楼へあがって、必ず女に青黛を刷かせ、死人の如く粧わせた坊主の話や、また、最愛の妻に先き立たれ、一夜そいふしたという話など、むしろ美談として語られている。もし今の女房族、自分の死んだ後に、まだ亭主が愛撫してくれるとわかったら、よろこぶだろうか、気味わるがるのか、多分、そうなったら感じないのだから、生きてるうちに、一度余計に抱いてくれと要求するのだろう。
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だから面白い脚本さえ書けば客は戻ってくると中原さんも私も思い、脚本作りに熱中した。天国に結ぶ恋と呼ばれた坂田山心中以来、心中が相ついでいるので、人まね心中を風刺した『心中、心中また心中』を書いたり、ロスアンゼルスオリンピックを題材にして『青春オリンピック』を書いたり、アメリカ映画『ジキル博士とハイド氏』を真似て『灰土氏の殺人』という脚本を作ったりした。小さく当った芝居はあったが、『踊り子殺人事件』のような大当りは生れなかった。
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