国策遂行要領

52 の用例 (0.00 秒)
  • 前年の昭和十六年九月六日、御前会議は「帝国国策遂行要領」を正式に決定した。 長尾三郎『生き仏になった落ちこぼれ』より引用
  • 近衛首相をはじめとする各責任者の説明は『帝国国策遂行要領』を決定へ導くための各立場での説明に過ぎない。 五味川純平『御前会議』より引用
  • それは国策遂行要領を決定するときに論じる問題でしょう。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 昭和十六年十月二十三日の新内閣と統帥部との初の連絡会議から十一月一日までの十日間に、八回の連絡会議が開かれ、九月六日御前会議決定の「帝国国策遂行要領」の再検討が行われた。 五味川純平『御前会議』より引用
  • また五日の御前会議の最後の挨拶に立った東条首相は、次のように『国策遂行要領』決定への苦衷を述べた。 豊田穣『海軍軍令部』より引用
  • 昭和十六年九月六日、午前十時から十二時まで、『帝国国策遂行要領』に関する御前会議が行われた。 五味川純平『御前会議』より引用
  • その後9月6日の御前会議にて『帝国国策遂行要領』は付議され採択された。
  • これにより日米関係が危機的状況を迎える中、10月18日に成立した東条内閣は戦争決意の下に作戦準備と外交を並行させることとし、11月5日の御前会議において帝国国策遂行要領を決定した。
  • 「帝国国策遂行要領」は、「対米開戦」を決意する方針を定めているが、戦争を決意するのは戦争遂行に自信があってのはずである。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • もし海軍側の発言が真実だとすれば、そもそも九月六日の御前会議で決定した「帝国国策遂行要領」は、根拠を失う。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 九月三日午前十一時、大本営政府連絡会議が開かれ、「帝国国策遂行要領」が審議された。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 参謀本部が、この田中少将の意見にそった「帝国国策遂行要領」案をまとめたのは、八月十九日であったが、陸軍省は即時戦争を決意する点に難色を示した。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 鳥居は、軍令部総長の異例の訪問は帝国国策遂行要領から対米戦決意の文字を抹消するため、内大臣の協力を求めたのではないかと推察している。
  • 日米交渉に国運が懸っていたとすれば、その日米交渉妥結にとって最大の障害となる『帝国国策遂行要領』を、九月六日の御前会議は可決したのである。 五味川純平『御前会議』より引用
  • 「帝国国策遂行要領」は、それまで陸海軍当局で討議されてきた陸海軍案をまとめたもので、主文は次の三項であった。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • この会議で政府、統帥部は、もはや日米交渉の打開は絶望で、十一月五日の「帝国国策遂行要領」によって行動することを決めた。 豊田穣『海軍軍令部』より引用
  • すでに十一月五日の新「帝国国策遂行要領」に応じて、陸海軍は戦争発起態勢に移行しはじめている。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • これに対し日本側は、参謀本部を中心に対米英戦の決意が固められ、九月三日には大本営政府連絡会議で「対米戦争ヲ辞セズ」という帝国国策遂行要領が決せられた。 柳田邦男『空白の天気図』より引用
  • 東条内閣は、天皇の意思にそって、九月六日決定の「帝国国策遂行要領」を再検討するために十月二十三日から三十日まで、大本営政府連絡会議をひらいた。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 近衛は、国家が開戦へ向って大きく踏み出すことになる『帝国国策遂行要領』の決定を、さほど重大には考えなかったように見える。 五味川純平『御前会議』より引用
  • 次へ »

国策遂行要領 の使われ方