国策研究会

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  • 五月になって、「国策研究会」が彼の歓迎会をかねて、話をきく集いをもった。 草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』より引用
  • 画策したのは、湯沢三千男、矢次一夫、それに国策研究会の面々である。 草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』より引用
  • 特に、第1次近衛内閣から小磯内閣に至る各内閣には、国策研究会の関係者多数が入閣をしていた。
  • 戦前の国策研究会は、時期により題号の異なる複数の機関誌を発行していたが、その中には『新國策』と題する旬刊の機関誌も含まれていた。
  • 早稲田大学の学生サークルのひとつは、「早稲田大学国策研究会」と称している。
  • 戦後、再発足した国策研究会は、『新政』と題する機関誌を当初は月刊で、その後一時期は旬刊で刊行していた。
  • 「国策研究会」主催の晩飯会がおわり、矢次は上落合、大西は高円寺と、帰る方向が一緒になった。 草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』より引用
  • 国策研究会は、早くから行政改革についての提案を行なったほか、佐藤内閣の下では核拡散防止条約、日中国交正常化などに関わる政策提言を行なった。
  • 国策研究会では、1940年に「民族問題研究会」を組織して東南亜細亜の諸民族の実情と日本の対処の仕方について研究を開始し、「南方諸民族事情研究会」にもインドシナ研究の専門家として委員に名を連ねた。
  • それからまもなく、例の「軍艦を海の底に沈めて、空軍省にしよう」という大演説を「国策研究会」の席上でやってのけるのである。 草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』より引用
  • また、日本戦略フォーラム会長、国策研究会会長、財団法人アジア刑政財団理事などを歴任した。
  • 戦時中の晩年、国策研究会において佐藤賢了と出会い、佐藤から東条英機が大東亜共栄圏の新政策を発表する演説への助力を依頼される。
  • 「国策研究会」という名称は、「国策」についての研究会という意味で、公益財団法人国策研究会とは無関係に用いられることがある。
  • 同年8月、国府津に池田純久、田中清、その他数名の腹心を集めて会議を開き、永田が従来指導していた経済国策研究会を通じ、昭和神聖会に働きかけ、上奏請願に導き、国家改造に伴って戒厳令を布き、皇族内閣を組織するという計画を練った。
  • 松下政経塾は研究活動のひとつとして、2010年に野田佳彦を座長、小野寺五典を副座長とする「国策研究会」と称する研究会を組織し、森尾稔、山形俊男、湯原哲夫らを講師に招いて研究会を行った。