国策決定

19 の用例 (0.00 秒)
  • そしてこの日をもって、彼は公式の立場で国策決定に携わることがなくなった。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(下) 日米開戦から東京裁判まで』より引用
  • 無謀ともいえる対米戦争への道を大きく一歩進めたのは、昭和十六年九月六日の御前会議での国策決定である。 半藤一利『指揮官と参謀 コンビの研究』より引用
  • 会議で国策決定の土台になる懸案事項を論議しつくしたかが、彼の不安だった。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 石井の残した日記や回想録、証言は、開戦当時の国策決定の内側を知る上で貴重な記録となっている。
  • 国策決定に重臣の意見も聞こうというのである。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(下) 日米開戦から東京裁判まで』より引用
  • 国策決定に際しては、野望と幻想を優先させ、精密な国力判断を軽視した。 五味川純平『御前会議』より引用
  • 国策決定の最高機関は御前会議である。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 昭和十年代の大日本帝国のそこは、建物こそ古びていたが、まさしく国策決定の中枢であった。 半藤一利『ノモンハンの夏』より引用
  • この日は六月二十二日の独ソ開戦で、これに対応する緊急の国策決定を迫られたので、そのための会議であった。 豊田穣『海軍軍令部』より引用
  • これは陸軍の国策決定への困惑と未練を示すものであったが、本土決戦派はこれによって勢いづき、憲兵隊は和平を口にする指導者にいっそう威圧をかけはじめた。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(下) 日米開戦から東京裁判まで』より引用
  • そしてこのとき板垣は「日ソ全面戦争への発展は極力防止するの方針を堅持する」とはっきりといい、五相会議はその方針をうけいれて国策決定としている。 半藤一利『ノモンハンの夏』より引用
  • ここまではよかったのであるが、陸海軍の要求により、「国策の基準」を発表したところ、これが軍国主義的な国策決定として、後に極東軍事裁判の大きな訴因となった。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • 「これまで米英を相手に国防上なんら不安なしと高言してきたのに、国策決定の重要時に当って英米を恐れて強化に逡巡するとは了解する能わず」と、海軍への不信を強め、海軍は何を考えているかの声のボリュームをあげた。 半藤一利『ノモンハンの夏』より引用
  • 大本営政府連絡会議という、国策決定の重要な会議の二、三時間後に内情視察で庶民に接する東條のなかには、あらゆる事象が同じ次元で視野にはいっていたのはいうまでもない。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(下) 日米開戦から東京裁判まで』より引用
  • 参謀本部は、そのドイツ軍の歩度にせきたてられる想いで速かな国策決定を望み、ドイツも大島駐独大使を通じて日本の対ソ参戦をさそってきた。 児島襄『開戦前夜』より引用
  • 豊田外相は首相の態度を支持し、「九月六日御前会議の、十月下旬を目処として対米英戦を準備する、という国策決定は、やや軽率であった」と発言し、海相も「首相に一任したい」と海軍省も外交を重視するという意向を示した。 豊田穣『海軍軍令部』より引用
  • しかも日華事変が始まり、国策決定のための一元的中央官庁の必要が一層切実になると、企画院は「平戦時における綜合国力の拡充運用に関し案を起草するとともに国家総動員事務をも併せ担当する重要官庁」としての役割を担い、まさに陸軍パンフレットが目指した〝軍部政治〟を担当することになった。 勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』より引用
  • 高木八尺は、「本質的には、国策決定の根底に事実の歪曲、虚偽の介在を許すべからずとする人間リンカーンの血のにじむような良心の叫びだった」と評している。
  • 大日本帝国憲法の下では「國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬」する立憲君主制における天皇として、終戦の国策決定などに深く関与した。