国体明徴運動

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  • 翌年は二・二六事件が勃発、時代は国体明徴運動へと大きく迷走していった。
  • 国粋主義的な政治思想の持ち主で、晩年には国体明徴運動を熱心に推進していた。
  • 現代の日本に於ける文化統制の内で、最も典型的なものは所謂国体明徴運動である。 戸坂潤『現代日本の思想対立』より引用
  • 国体明徴運動の指導者のひとりとして知られる。
  • なぜというに国体は不動であるに拘らず、国体明徴運動は之までの歴史で忘れられたり怠られたりした。 戸坂潤『思想動員論』より引用
  • 神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。
  • 当時の内閣が内審を唯一の頼みにしていると同じに、政友会は今や国体明徴運動を唯一の頼みの綱にし始めた。 戸坂潤『現代日本の思想対立』より引用
  • だが政友会は、政友会がなくても国体明徴運動に何の損失もあり得ない、という点には目はつぶっていたのである。 戸坂潤『現代日本の思想対立』より引用
  • 事実思想善導と云っても国民精神作興と云っても、又国体明徴運動と云っても、夫が為政者や類似為政者の仕事を指すものではあっても、一般の民衆と何か関わりのあるものだというような印象は受け取ることが出来なかっただろう。 戸坂潤『思想動員論』より引用
  • 滝川事件・天皇機関説事件に対して国体明徴運動が発生すると日本政府は1935年に国体明徴声明を発表、陸軍皇道派の青年将校による二・二六事件が発生した。
  • しかし後藤の政党政治を骨抜きにしようとする画策には断固反対し、天皇機関説事件に絡んだ国体明徴運動に対しては厳しい批判を行った。
  • 国体明徴運動などは唾棄したにちがいない。 竹内好『近代の超克』より引用
  • 日本ファッショのむだ花、国体明徴運動についてわれわれはもはやあまり興味を有たないが、面白いのはやはり日本ファッショの果実である審議会だろう。 戸坂潤『現代日本の思想対立』より引用
  • 軍部の台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫されてゆき、天皇機関説は国体に反するとして攻撃を受け始めた。
  • なお、昭和に入って国体明徴運動の影響を受けて再び正史編纂の動きが高まり、文部省主導で国史編修院が設置されるが、実際にスタートしたのが太平洋戦争終結後で、すぐにGHQに目を付けられてわずか半年余りで廃止を命じられることになった。
  • 興国同志会会員だった蓑田胸喜は上杉と同じように機関説を排撃する国体明徴運動で名を馳せ、国体擁護連合会の中心的存在となった。
  • 陸軍パンフレットの提唱する国家総動員体制への移行は、まもなく昭和十年とともに具体化しはじめ、天皇機関説排撃の国体明徴運動、内閣調査局による統制経済の検討など、国民生活のあらゆる面にわたって、国防・統制色を強めることになる。 勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』より引用
  • 特にその内容が最も具体的に鮮明且つ積極的になった処の国体明徴運動の如きは、林内閣の手によって祭政一致という超俗的な神職的神話に結びつけられ、夫によって政治感覚全体を著しく形而上学化したので、凡そ国民そのものとは縁のない呪物に祭り上げられて了った。 戸坂潤『思想動員論』より引用
  • 陸軍パンフレット配布、天皇機関説攻撃、国体明徴運動と、軍部の攻勢はつづいていて、佐々木もまた九州の同志と連絡をとり運動を進めていた。 保阪正康『東條英機と天皇の時代(上) 軍内抗争から開戦前夜まで』より引用
  • 併し挙国一致の好きな政友会は、この挙国一致の国体明徴運動にスッカリ身も魂も打ち込んで了っていたらしい。 戸坂潤『現代日本の思想対立』より引用
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