国体明徴問題

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  • ところが、国体明徴問題は、天皇の心労をよそに意外な方向に発展して行った。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • この年八月一日、国体明徴問題の闘将である真崎甚三郎大将が更迭され軍事参議官となった。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • 折柄、国体明徴問題が起ったので、ここで、しきりに度を過ぎた動きを示す真崎を更迭するほか、皇道派を要職から追うことを永田が林に進言したものである。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • それはともかく、皇帝溥儀が日本滞在中は、天皇機関説批判、すなわち、国体明徴問題は、一応は姿をひそめたかに見えたが、溥儀の神戸出帆の前日、四月二十三日、早くも第何弾目かの美濃部攻撃が行われた。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • 永田は、真崎たちが、国体明徴問題を好機として、皇道主義を高揚しようと企画しているのを抑える必要があると考えて、真崎の更迭を強く林陸相に進言した。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • しかし、次期広田内閣では留任が望まれていたにも拘らず、陸軍から陸軍大臣内定者寺内寿一の名において国体明徴問題などの処置に難ありとして組閣への干渉を受けたため、吉田茂、下村宏と共に入閣を阻止された。