四方赤良

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  • 天明二年に撰ばれた「狂歌若葉集」の下巻に四方赤良の左の一首がある。 江戸川乱歩/紀田順一郎編『江戸川乱歩随筆選』より引用
  • このホテルの選び方は、もし四方赤良が現代に生きてゐたら、わが意を得たと喜ぶのぢやないかしら。 丸谷才一『食通知つたかぶり』より引用
  • 狂歌人としても有名で内山賀邸・四方赤良などとも交友を持った。
  • ときによって、蜀山人とも四方赤良とも答えたであろう。 唐木順三『無用者の系譜』より引用
  • 然し四方赤良が果して文人であるか否かの決定には躊躇がある。 唐木順三『無用者の系譜』より引用
  • こんなふざけた男のことを書いた黄表紙『虚言八百万八伝うそはつぴやくまんぱちでん』の作者は、四方屋本太郎正直よもやほんたろうしようじきという人で、四方赤良よものあからのことだといわれるが、どうも疑わしいとする説が有力である。 池田弥三郎『話のたね』より引用
  • この後数点の黄表紙を発表するも当たり作はなかったというが、内山賀邸私塾の唐衣橘洲の歌会に参加した明和6年頃より自身を「四方赤良」と号し、自身もそれまでは捨て歌であった狂歌を主とした狂歌会を開催し「四方連」と称し活動しはじめた。
  • 初期においては、たとえば大田南畝としては漢詩人または文人、蜀山人として狂詩人または狂歌師、四方赤良として戯作者というように、一人で三役をかねるようなひともいた。 唐木順三『無用者の系譜』より引用
  • 天明年間初期に四方赤良に入門して頭角をあらわし、天明4年、数奇屋連を結成した。
  • 和歌の教養が深く、技巧は堂に入っていたが、おっとりした性格で、当時の狂歌界最大の存在だった四方赤良よものあから奔放華麗ほんぽうかれい、人気抜群の作風とは対照的だった。 大岡信『名句歌ごよみ〔夏〕』より引用
  • 通称は直次郎、号は南畝・蜀山人・四方赤良よものあからなど。 夏目漱石『硝子戸の中』より引用
  • これは、かの有名なお直参じきさんの狂歌師四方赤良よものあからこと蜀山人しよくさんじん大田南畝なんぽ先生の狂歌であるが、おなじく自然にたくしているとはいうものの、いささかそっ直だ。 暉峻康隆『日本人の笑い』より引用
  • 調べて見れば何のことはない、天明元年に四方赤良よものあからこと大田南畝なんぽ大先生の著した『菊寿草きくじゆそう』には、当代の画工として、北尾重政、鳥居清長、北尾政演の順で挙げられている。 半村良『およね平吉時穴道行』より引用
  • 天明の初め四方赤良よものあから唐衣橘洲からころもきっしゅう朱楽菅江あけらかんこうらの才人江戸に狂歌を復興せしむ。 永井荷風『江戸芸術論』より引用
  • 後年こうねん四方赤良の一派狂歌の再興を企つるや元禄前後における先人の選集中永く狂歌の模範とすべき吟咏は大抵再選してこれを『万載集まんざいしゅう』『才蔵集さいぞうしゅう』等に載せたり。 永井荷風『江戸芸術論』より引用
  • 南畝なんぽと号し、別に蜀山人しょくさんじん杏花園きょうかえん四方赤良よものあから、桜山人、石楠斎しゃくなげさいなど、やたらに号をつくり、いま、狂歌・戯文げぶんをもって、江戸文壇を圧している男であった。 柴田錬三郎『(柴錬立川文庫4) 忍者からす』より引用