四方木工区

15 の用例 (0.00 秒)
  • 四方木工区がようやく復旧したばかりの時期の出水事故であったため、関係者に大きな衝撃をあたえた。
  • 前年の四方木工区出水事故の復旧工事と同様に、トンネル上部の地上からボーリングを行って閉塞作業を行うことになった。
  • 出水事故で水没した四方木工区を復旧するために、出水場所となった注入基地を閉塞する作業が行われた。
  • この当時、四方木工区と高山工区の間の坑道がつながったばかりであったため、この水は両方の工区に流れ込んでいった。
  • 朝の8時35分の時点で、立坑の底から約250 mのところまで水位が来て安定していることがわかり、四方木工区は完全に水没してしまった。
  • これにより八木沢層の背後に回ることができたため、八木沢層を両側から攻略するとともに、この間に出水事故を起こして停滞していた四方木工区へ向けて掘削を進めることになった。
  • 小野上南工区と四方木工区の境界付近にある100 mほどの八木沢層の区間はどうやっても避けることができないが、高山工区の八木沢層区間は回避して閃緑岩の層を通すことは可能であった。
  • 四方木工区の水没事故をきっかけにルート変更の方針となり、1979年9月20日に公団総裁に上申され、9月27日に承認されてルート変更が決定した。
  • そして四方木工区側から残り40 mの工事が行われ、12月23日に貫通してようやく中山トンネル全区間の本坑が貫通した。
  • 四方木工区では、立坑でズリを運ぶ装置の稼働率が93パーセントに達するという記録的な値となった。
  • わけても2回水没し、八木沢層に苦しめられた四方木工区の建設費はメートル当たり3467万円という多額に上った。
  • 出水から1日半の間は両工区の揚水能力の範囲内であったため完全水没は免れていたが、3月9日17時30分に2次崩壊が発生し、110トン/分の大出水となって四方木工区と高山工区のすべてが水没した。
  • 四方木工区では立坑着工以来5年10か月を要して、1977年12月にようやく本坑掘削工事に着手した。
  • 中山トンネルのうち、四方木工区に属する大宮起点106 km400 mから107 km300 mほどの区間は、高圧の湧水を伴う過酷な地質条件にあることがこれまでに明らかになっていた。
  • 揚水量と水位の変化などから閉塞が完了したことが見込まれると、ポンプを増設して揚水量が増やされ、1980年8月20日に高山工区、8月27日に四方木工区の排水がそれぞれ完了した。