四十七士
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名詞
204 の例文
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だが、安兵衛に運があった。弥兵衛に惚れ込まれただけで、四十七士の仲間に入ることができたのだ。
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また、四十七士の行動に対しても全てを肯定している訳ではなく、特に大石良雄に対しては家老は主君が誤った判断をしないように補佐するのが最も重要な任務であるのに、主君の浅野長矩が刃傷事件を起こして本人は切腹、藩は改易に至ったのは、大石の家老としての能力にも問題があったと批判している。鳩巣は同書を単に四十七士の称賛する目的だけで作ったのではなかった。奥村の跋文には『資治通鑑綱目』に比するものを目指し、上は朝廷から下に士庶に至るまで、さらに異域でも読まれるようになることを期待していたと記している。
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切腹して果てた四十七士に比べると、同じ赤穂浪士として、あまりにも差がつきすぎ、いまでは、赤穂浪士と名乗ることもできなかったのだ。かれが四十七士のうちに入れなかったのは運であろう。そのおのれの運を恨んで生きるしかなかったのである。
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死ぬのは怖ろしくない。名が残るのであれば、吉良の首をあげた四十七士の誰かに代わって腹を切りたかった。
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泉岳寺の四十七士などでも、根はそんな風にしてハップンしたもののようだ。鎌倉に四十七士が奮起するのも眠れる時代の慶事とや云うべし。
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泉岳寺に着いてからお蔭で殊の外刃こぼれをしてしまったとぼやいたそうである。四十七士のうち、ただ一人大怪我をしたのは、近松勘六であった。もっとも当人は深手とはいっていない。
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四十七士は吉良邸から引き揚げて、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。引き上げの最中には、四十七士のうち一人がどこかに消えているが、その理由は謎とされている。寺坂を除いた四十六人は、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、幕府の指示に従って全員切腹した。
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それはいまでも次郎左の頭の中にあった。四十七士を羨望し、大石を恨むことだけで、今日まで生きて来たのだ。「これで、おれもいつ死んでも悔いはない」 笑みがこぼれた。
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七五郎たち中村座の役者たちが扮した四十七士は、きびきびとそれぞれの持ち場に散っていった。その誰もが本物の四十七士とは似ても似つかぬ美形ぞろいである。沿道の町娘や腰元たちが黄色い声をあげ、色とりどりのテープや花吹雪がいっせいに舞い散った。
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仮装行列が街頭をねり歩いた。それはドイツ皇帝の首を持った四十七士といういでたちだった。だが、大正八年の講和会議には、日本も連合国の一員として出席した。
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捕虜の中には偽名を使うものも多く、赤穂四十七士の名をかたる一団もいた。中立国のスイス領事と国際赤十字の代表が12月中句にフェザーストン収容所を視察しており、捕虜の待遇は良好と日本側に通告している。
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四十七士の一人である武林唯七が江戸へ下向する途中、金太という男に絡まれる。腹が立った唯七が金太を蹴り倒すと、そのまま金太が動かなくなる。
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集合場所であるラフォーレ原宿のまえに全員がそろったのは、午前一時をまわっていた。四十七士の討ちいりのようなこころ持ちで青山にある東氏のマンションに向かった。何度ブザーをおしても扉をたたいても東氏は出てこない。
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四十七士の討ち入りは、あるいはこの女の戦争の男性版にすぎなかったのではあるまいか。しかもうわなり打ちはしょっちゅうあったとみえて、新見法入の『昔々物語』などには、八十歳の老婆が、若い頃は十六度も加勢に頼まれたものだと語る回顧談が見えたりする。
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この時討ち入りに参加した人数は大石以下47人である。四十七士は吉良邸から引き揚げて、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。引き上げの最中には、四十七士のうち一人がどこかに消えているが、その理由は謎とされている。
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赤穂事件で有名な大石良雄が隠棲したところと伝えられ、大石寺とも称される。本堂には、本尊の周りに赤穂浪士・四十七士の位牌が並べられている。また、大石良雄が使用した文机や鍵付き貴重品箱などの遺品が保管、展示されている。
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通称は右衛門七。四十七士の中では大石良金に次いで若年であり、母妹の世話に苦難したことで知られる。
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