喜多実

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  • 直ぐ傍に立っている喜多実君と坂元雪鳥君とであったかが腹を抱えて笑っている。 夢野久作『恐ろしい東京』より引用
  • 古典や能に対する造詣が深く、喜多実に入門、新作能の制作も行っている。
  • 能もかくあらねばと喜多実が書いている。 永六輔『役者その世界』より引用
  • 実子はなく、養子に後藤家より喜多実が入って喜多流十五世宗家を継承している。
  • そんなにわかりたければ、喜多実君か松野奏風君にきいてみるさ。 夢野久作『「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能』より引用
  • 現代のスポーツ流行はそうした進化の一階段に過ぎないので、喜多実氏がテニスのスタイルを能の中に体現し、松野奏風氏が素早くこれをスケッチしたのも、決して偶然の事ではない。 夢野久作『「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能』より引用
  • 演じ手としては喜多実、梅若六郎などが著名である。
  • 六平太は同世代に、堂々たる芸風を武器とする初世梅若万三郎というライバルを抱えており、同じタイプの役者である伴馬が成功を収めたことは、自分の行き方への自信に繋がっただろうと息子・喜多実は述べている。
  • 喜多実も道雄に近い見解を示し、「彼の名声は比較的技術本位の曲に集って、動きの少ない、然し能としてもっとも高度とされる曲に薄い点は注目すべきである」として、ある批評家の「ひっきょう伴馬は左甚五郎ですよ」という発言を引いている。
  • 弟に喜多流の能楽師だった後藤得三、喜多実がいる。
  • なお叔父は喜多流の能楽師の後藤得三と喜多実、比奈夫の姉も喜多流の宗家の内弟子と結婚しており、このため比奈夫の句の背景として能楽が言及されることも多い。
  • 一方で戦後に喜多実は、その謡を「玉を転ばすような柔かい節回しと玲瓏な声調」の名調としながらも、「深みとか寂びとか、あるいは重々しさとかいったもの」は受け取れないと評し、それは維新後の混乱期にあって、大衆の心を掴もうと努力した結果なのではないかと推測している。
  • また、喜多流にも『綾鼓』という作品があるが、こちらは喜多流十五世宗家喜多実と土岐善麿作による新作能である。
  • 喜多流「鶴」は比較的上演回数が多くNHKアーカイヴスに1981年の喜多実による公演の記録がある。
  • その厳しさは子方相手でも変わらず、後の喜多流宗家・喜多実は、幼い頃「七騎落」の子方として借りられた際、何の容赦もなく叱りつけてくる伴馬の気迫に、思わず縮み上がるとともに悔しさを覚えたという。
  • 喜多実の厳正重厚さと六平太の絢爛自在さをあわせもつといわれ、『羽衣』『安宅』『景清』など幅広い演目を得意とした。
  • 喜多実は、老境の伴馬の「実盛」「融」について、「大きな舞台をいっぱいにする程の力」「軽舟の急流を奔るがごとく、天馬空を征くかと感ぜらるるほどの颯爽」として、「烈々たる気魄が、五尺の短身から火花が散るようにさえ感じさせる」と記している。
  • 大正・昭和期の名人として喜多実、後藤得三ついで友枝喜久夫・友枝昭世親子、粟谷菊生、塩津哲生らが知られている。