喜多呂九平

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  • 当時の悪麗之助は、寿々喜多呂九平とならび「悪魔派」と呼ばれる脚本家であったが、本作では、寿々喜多のオリジナルシナリオを悪が監督した。
  • 牧野省三の映画最初期の助手であり、脚本・寿々喜多呂九平、撮影・石野誠三とのトリオがマキノ最盛期の映画製作を支え、マキノの歴史とともにある人物として知られる。
  • 俳優だった衣笠貞之助を監督としてフル稼働し、大部屋俳優阪東妻三郎をスターにし、20代前半の若者たちを脚本家・寿々喜多呂九平、映画監督・二川文太郎、井上金太郎としてデビューさせた。
  • 紫頭巾は1923年7月、マキノ映画製作所製作・牧野省三・金森万象共同監督、市川幡谷主演による映画『浮世絵師 紫頭巾』が最初であり、この作品の脚本がこれがデビュー作となる寿々喜多呂九平であったため、以後も紫頭巾各作品は「原作:寿々喜多呂九平」となっている。
  • 東亜キネマ等持院撮影所では、マキノ映画製作所時代から引き続いて、脚本家・寿々喜多呂九平、監督・二川文太郎による、看板スター阪東妻三郎の剣戟映画が人気を博した。
  • 二川文太郎、寿々喜多呂九平、山上伊太郎ら、等持院撮影所の「マキノ派」従業員は、その多くが同社の設立に参加した。
  • 同年7月20日に公開された、監督金森萬象、脚本寿々喜多呂九平、撮影石野誠三のトリオによる『天明果報談』に主役「笹井新三郎」役を演じて、満33歳で映画界にデビューした。