喜多六平

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  • 喜多六平太の道成寺なるものを一度も見なかったせいばかりではない。 夢野久作『道成寺不見記』より引用
  • 右に就いて私の師匠である喜多六平太氏は、筆者にコンナ話をした事がある。 夢野久作『能ぎらい/能好き/能という名前』より引用
  • 喜多六平太が大森から荻窪に引越して五日目、日がくれて家がわからなくなった。 戸板康二『新ちょっといい話』より引用
  • これは能の喜多六平太の芸談にあった言葉だが、それほどにむずかしいことでもあるわけだ。 永六輔『役者その世界』より引用
  • 前記喜多六平太氏の談によると翁は七五三に酒を飲んだというが、これは晩の七の分量に相当する分であったろう。 夢野久作『梅津只円翁伝』より引用
  • また謡の腕前も免許皆伝の腕前で、喜多六平太にも稽古を付けた程であった。
  • また喜多流の古老として、若き宗家・14世喜多六平太を支えた一人である。
  • 喜多六平太は、いい芸談を残している能の名人だが、語録の中で、こういっている。 戸板康二『新々ちょっといい話』より引用
  • 明治七年生まれの喜多六平太が死んだ。 永六輔『役者その世界』より引用
  • こんなに美しいものが殘つてゐるのに、それを知らずにゐたのかと思ふほどわたしを驚かしたのは、喜多六平太氏が受持つた役の蝉丸の面だ。 島崎藤村『桃の雫』より引用
  • 十六世宗家喜多六平太と喜多節世は兄である。
  • 中でも明治〜昭和期に活躍した名人・14世喜多六平太が名高い。
  • 後の代のものがどの程度まで遠い過去の藝術に入つて行けるかといふことは、よくわたしに起つて來る疑問であるが、謠曲の蝉丸を喜多六平太氏方の能舞臺に見た時、原作者の説き明さうとしたものが時と共に失はれ來た後世になつても、その人の感じたものだけは長く殘つてゐることに氣がついた。 島崎藤村『桃の雫』より引用
  • また1895年、喜多六平太とともに初めて能楽堂の照明に電灯を設置するなど新しい試みを数々行っている。
  • 三段となった1895年、旧福岡藩藩主黒田長知の家に出入りしていた縁で、能楽師で喜多流14代家元の喜多六平太に嫁ぐ。
  • 他流ではあるが、伴馬より一世代下で同じく巧技を以て謳われた名人・14世喜多六平太にも、伴馬からの影響が指摘される。
  • 喜多六平太が、その話をとりついで、最後にいった。 戸板康二『新ちょっといい話』より引用
  • 喜多六平太氏の葵上を見て、怨霊ものとしての凄絶さに圧倒された体験のある筆者は、恩師六平太師をただ葵上と道成寺を舞うために生まれて来た人である。 夢野久作『道成寺不見記』より引用
  • 彼は梅若万三郎や、喜多六平太にあこがれてゐたのだ。 坂口安吾『吹雪物語』より引用
  • 喜多六平太氏は右に就いて筆者にく語った。 夢野久作『梅津只円翁伝』より引用
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喜多六平 の使われ方