召使っている
12 の用例
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召使が、前にいるのも知らぬように、藤吉郎は母の文へ、ぼろぼろと涙をこぼして、二度も三度も読みかえしていた。
主人という者は、自分の召使っている奉公人へ、泣き顔などは見せないものである。
また、人にも涙などは見せるものでないように、侍は躾けられている。
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吉川英治『新書太閤記(二)』より引用
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その屋敷は邦原家で、そのころ祖父の勘十郎は隠居して、父の勘次郎が家督を相続していたが、まだ若年で去年ようよう番入りをしたばかりであるから、屋敷内のことはやはり祖父が支配していたのである。
小身ではあるが、屋敷には中間二人を召使っている。
兜をかぶった男は、大きい銀杏の木を目あてに、その屋敷の門前へかけて来たが、夜はもう五つを過ぎているので、門は締め切ってある。
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岡本綺堂『兜』より引用
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そんな怪しげなものをこの城中へ入れて召使っている私のようなものを、どうしてまた、殿にはここへお置きなさるのでございますか。
吉川英治『黒田如水』より引用
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当時の正午前後、妻は確かに外出致しませんでした。
これは、妻自身はもとより、私の宅で召使っている下女も、そう申して居る事でございます。
また、その前日から、頭痛がすると申して、とかくふさぎ勝ちでいた妻が、俄に外出する筈もございません。
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芥川竜之介『二つの手紙』より引用
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捨松はことし十五の少年で、赤児のときに龍神の社の前に捨ててあったのを黒太夫の家で拾いあげて、捨て子であるから捨松という名をつけて、今日まで育てて来たので、ほんとうの子飼いの奉公人です。
そういうわけで、親もわからない、身許も判らない人間ですから、黒太夫も不憫を加えて召使っている。
当人も一生懸命に働いている。
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岡本綺堂『青蛙堂鬼談』より引用
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置かれている調度類も上品のものばかりだ。
召使っている奴婢共もずいぶん多い。
京へ来てこれほどの生活が出来るとは、よほどに本国の家は富裕なのだと思われた。
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海音寺潮五郎『平将門 上巻』より引用
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見ぐるしい男の故事というのは、定勝が召使っている家臣に、表情がひとに不快感をあたえるほどに愁い顔の男がいて、近習の一人がああいう見ぐるしい男は隠居でもさせたらいかがかと進言した。
ところが定勝はその者を強く叱って、人を故なく捨てるべからず、愁い顔なら憂いの場合の使者にでも使えばよいと言ったことを指している。
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藤沢周平『漆(うるし)の実のみのる国(上)』より引用
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甲州城の勤番支配として、隆々たる威勢で乗り込んだ駒井能登守その人を、こんな方角ちがいの辺鄙なところで、こうしてお目にかかろうということは、夢に夢見るようなものです。
あの凜々しい、水の垂るような若い殿様ぶりが、今は頭の髪から着物に至るまで、まるで打って変って異人のような姿になり、その上に昔は、仮りにも一国一城を預かるほどの格式であったが、今は、見るところ、あの清吉という男を、たった一人召使っているだけであるらしい。
その一人の男の姿が見えなくなると、御自分が提灯をさげて探しに出て行かねばならないような、今の御有様は、思いやると、おいとしいような心持に堪えられない。
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中里介山『大菩薩峠』より引用
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それは大炊頭がげんにこの眼で見ていることであり、またさまざまな挿話を人からきいて、みとめざるを得なかった。
あれほど人間性の機微にわたって恐るべき烱眼をそなえている大御所が、ながらく佐渡守を懐 刀とし、のちには将軍の補佐とし、またいまじぶんは一子の上野介をそば近く召使っているのも当然といえる。
それは「伝説的」とすらいえる忠誠物語であり、君臣譚であった。
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山田風太郎『忍法行雲抄』より引用
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それは大炊頭がげんにこの眼で見ていることであり、またさまざまな挿話を人からきいて、みとめざるを得なかった。
あれほど人間性の機微にわたって恐るべき炯眼をそなえている大御所が、ながらく佐渡守を懐刀とし、のちには将軍の補佐とし、またいまじぶんは一子の上野介をそば近く召使っているのも当然といえる。
それは「伝説的」とすらいえる忠誠物語であり、君臣譚であった。
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山田風太郎『かげろう忍法帖 ―山田風太郎忍法帖短篇全集(1)』より引用
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都大路を抜けて河原へ出たとき、茨木は後から肩先を深々と切り下げられ、川中に転落しました。
さては野盗かと、苦痛をこらえ、葦のしげみに身をひそめて相手の様子を窺うと、意外にも男は中納言の召使っている郎等でした。
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平岩弓枝『江戸の娘』より引用
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後、果して、大坂の陣の時、織部の家に召使っている茶道坊主が大坂方と通謀して、東軍の後方攪乱を企てていたのが暴露したのに連坐して、家取りつぶしの上、織部も切腹という処分にあったと伝えられる。
ぼくは、伝承された古名器に対する大河内金兵衛の素朴で誠実な考え方を珍重に思う者だが、織部のひたむきな芸術家気質にもまた感心せざるを得ない。
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海音寺潮五郎『史談と史論(下)』より引用