古文書
全て
名詞
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一説では、佐野は一旦蘇生し、検死にやってきた大石鍬次郎に斬りかかったといわれる。これは、一篇の古文書に書かれていたことが拡大したものとされている。また、切腹ではなく大石ら新選組よって惨殺されたともいわれ、佐野は大石に槍で腹を刺し抜かれたが、抜打ちで大石に手傷を負わせたといわれている。
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いまは隠居の身分で、遠くからたずねてくるものたちと祖先のことを語るのが、一つのたのしみでもあるようだった。辻さんはすすんで家にあるいろいろな古文書や絵画などをみせてくれた。江戸時代からのものが主で、どれもそこをおとずれた文人や僧侶などのかいたものだった。
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ほかにもその名前が記された古文書や碑文は世界各地で見つかっている。
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地内の小豆坂は、二度の小豆坂の戦いの舞台となった。戦国時代、もしくはそれ以前と思われる領主の名が記された古文書がある。別の古文書によれば、天文9年に織田家が安祥城を攻撃した際に、城主松平広忠に味方してよく戦った松平忠次に褒賞として与えられる。
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粉から加熱前の製品に加工する過程のことは「麺打ち」ともいう。承天寺には詳細で具体的に製麺法を記した古文書水磨の図が残っている。福岡の承天寺には、1241年南宋に渡り学を修めた円爾が伝えたとされる製粉機の詳細な図面である「古文書水磨の図」が残されている。
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東から鷹峯、鷲峯、天峯と称する。古文書に複数記載されるなど、かねてより多くの人に親しまれてきた。花札の8月の絵札でおなじみの「芒」は、この鷹峯の山を模したものとされる。
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この「作られた歴史」が里見氏の公式な歴史見解として定着し、近代以後もこの歴史見解が信頼され続けたために、このような史実と伝承との差が残った。なお、近年は古文書などを通じた里見氏の歴史の再評価が進められている。
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参照すべきくわしい研究もないのであるから、こまるであろう。古文書であるからといって、必ずしも信用してはならないのである。むしろ、戦国乱世の世は権謀術数が常であるから、この時代の古文書は大いに眉につばをつけて見る用心が肝要であろう。
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ところでバーナバス、わたしは館長なんだ、つまり、世界でもっとも重要な博物館の一つを、管理している人間なんだよ。きみたちが発見した古文書を、わたしは今までずっとさがしつづけてきた。とくに、その古文書によってどういうことがわかるかを、それは長い間にわたってさがしもとめてきた。
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愛すべき博士よ、そんなに真赤にならなくともよい。新聞は博士の好きな古文書と同じやうに真実を語るものである。だが、博士も学者である。
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このため、独立したインド政府は改暦委員会を設け、1957年にヒンドゥー暦等を統一するための天文学的公式を発表。しかし、こうした努力にも関わらず依然古文書を根拠とする地域もある。インド国定暦は、サカ暦1879年チャイトラ月1日に正式に開始したが、未だに各々の暦を優先する風潮も残っている。
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きはめて古き家なり。この家には出して見れば祟りありとて開かざる古文書の葛籠一つあり。八四 佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三、四年前に亡くなりし人なり。
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箱のなかには、忍家に伝わる古文書や巻き物がぎっしり収められていた。わたしは、おもわず卓子によりかかり、家系図をうけとった。
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復学後、国史の教官であった栗田元次を指導教官に選び、栗田も参加していた温故会に参加。名古屋近郊の寺を訪ねて、栗田から史料の調査や古文書の読解を学んだ。
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アーカイブ学は歴史学の補助的学問だと思い込み、アーキビストを歴史資料館や博物館の学芸員のように考えるきらいがある。しかし保存すべき資料は国宝級の古文書や史料だけを指すのではない。官公署が作成する公文書、いわゆる「お役所の書類」も確実な歴史の記録であり、行政の記録である。
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古文書を書いたコーンウォール人には、あの岩が見えたにちがいないんだ。メリイおじさんは、あの岩は三千年ほどむかしのものだといっている。
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サバクトビバッタによる農被害は、早くも『聖書』や『コーラン』に見られる。エチオピア大飢饉に関する古文書にも17世紀の被害が報告されている。
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